今夏よりオーストラリア1部リーグ、メルボルン・ビクトリーに移籍したサッカー・本田圭佑選手の専属分析官(アナリスト)として、先月まで本田氏と行動をともにし、彼個人の、”戦術参謀”的な役割を担っていた男がいた。白石尚久(たかひさ)氏(42歳)である。

現在は、本田氏とは別の道を進み、オランダの1部リーグ・SBVエクセルシオールで、アシスタントコーチ/テクノロジーストラテジストとして、新たなキャリアをスタートさせた。
チームのなかで、アジア人は白石氏しかいない。

世界で活躍するサッカー指導者である白石氏だが、
そのキャリアのスタートは18歳と、驚くほど遅い。

部活動未経験で、大学の体育会サッカー部にさえ入れなかった彼は、
18歳で単身アルゼンチンに渡り、育成選手からコツコツとキャリアを積み上げていく。

そして、36歳の時にアジア人で初めて欧州1部リーグの監督(スペイン女子)に就任。
41歳でACミラン、パチューカ所属の本田圭佑選手(日本代表)の専属分析官になった。

このような異色のキャリアを持つ白石氏が、南米、ヨーロッパと渡り歩いて実感したことは、
「世界で戦うためには、極論すれば、スキルよりも大事なものがあった」ということだった。

グローバルで働く人にとって、スキルよりも大事なものとは何か?

本記事では、初の著書である『何かをやるのに遅いということは決してない。』から、内容の一部を再編集し特別公開する。(まとめ/編集部)

本田圭佑選手の元専属分析官が南米と欧州で手にしたサッカーで年齢やスキルの壁を越える「武器」オランダ1部リーグ・SBVエクセルシオールのチーム集合写真。下段左から2番めが白石尚久氏(42歳)。
写真を見るとわかるが、チームにアジア人は彼1人だけだ。

スペイン語、英語、フランス語
そして日本語。4ヵ国語を駆使して仕事をする

「海外に拠点を置いて活動しています」と言うと、
十中八九「言葉が大変でしょう」と聞かれる。

僕はスペイン語、英語、フランス語、そして日本語を駆使して、
さまざまな国の選手や指導者とコミュニケーションを図っている。

2018年7月までは、同行していた本田圭佑選手がメキシコリーグの
パチューカに所属していたため、自然とスペイン語を使う頻度が多かった。

しかし、僕はスペイン語も英語もフランス語も、最初から話せたわけではない。

スペイン語は高校卒業後、練習生としてアルゼンチンに渡ったときにゼロから猛勉強した。
ほとんど独学だ。

日本からスペイン語会話の本を持っていって、
それを、本当にボロッボロになるまで使い尽くした。

なぜ語学を身につけたのかというと、生活が不便だからではない。
チームの監督の言葉が理解できないのが嫌だったのだ。

サッカー練習の合間に必死になってスペイン語を勉強したが、
向こうの人たちはみな早口でスピードについていくのが大変だった。

日常生活レベルはともかく、ある程度サッカーの専門的な話ができるまで、
さらには監督の言っていることが理解できるようになるまでには3年近くかかった。

語学を身につけると、僕のサッカーにある変化が起こったのだ。