記録しまくって気づいた最近の変化
自分が体験したことだけを記録する
奥野:アナログノートはどうしても手作業な分、何でもかんでも記録するというのはちょっと大変です。だから、自分のフィルターを通して、「自分にとって価値あるログだけ残している」という感じがある。
でも、デジタルだと自動で何でもログを残せるからか、何歩歩いたとか、何キロ走ったとか、数字を淡々と記録している人が多いですよね。僕はああいうデータ的なログの残し方だけじゃなくて主観的な言葉を書くので、数字だけで本当に意味があるんだろうかと思うんですけど……。
五藤:そういう人は活用の仕組みをつくっていますが、あくまで個人的な意見としては、何でもかんでもログを残す必要はないと思います。僕自身も、以前は何でもとにかく記録していたけど、最近は特に必要ないかなというものは、あんまりログを残さないようになってきていますね。
奥野:逆に減らしているっていうことですか?
五藤:そうです。例えば、自分が見たウェブページもちょっといいなと思ったら何でもかんでもクリップしていたんですけど、結局、何年たっても見なかったんですよ。必要なときは検索したほうが早いというのが現実で。それより、自分が直接体験したことや、自分の感情が大きく動いたログを残すほうが重要なんだと感じています。あとでログを見返すという意味でも、そうしたログのほうがグーグルで検索できる情報より価値があると思いますね。
奥野:それはまったく同感です。でも、デジタルはやろうと思えばいくらでも簡単にログを取れますけど、それをやめたきっかけって何なんですか?
五藤:あとで見るときに、邪魔だったんです。1日10~20件と、いろいろな情報をクリップしていたんですけど、結局、99.99%は検索したほうがいい結果が出てくるんですよね。もしかしてもっと技術が進んだら、そうした一見無駄なログも上手に仕分けしてくれる時代がくるんじゃないかとも思いますが、現状では、見返す上でノイズにしかなっていないんです。
奥野:それで結局のところ、自分に関わることだけを残すようになってきているんですね。
五藤:何かのイベントで誰かと会ったとき、検索すれば誰かが書いたブログの記事などから、いつ誰と何をしたかはすぐにわかります。でも、そのとき自分が何を感じたかという記録は、検索しても二度と探せないわけです。だから、例えば誰かが僕のことをこんなふうに言ってくれたというのは、自分の感情と関わったからログを残すんですが、イベントで誰々がこんなスピーチをしていたというのは、あまりログには残さないようにしていますね。
奥野:それは僕もまったく同じで、自分が読んで「いい」と思った資料の一番いいところを切り抜いて貼るわけで、もらったものを全部貼っているわけではないです。自分でフィルターにかけて、自分が関与したものだけを書く。だからその日の天気なんかは書いていないんですよ。でも、天気のことでも自分の体験したことは「雨に降られた」なんて書いている。
五藤:天気なんか、あとでいくらでも調べられますからね。