小型IPOは抑制すべきなのか?

 繰り返しになりますが、上の要件として述べたようなIPOは、現行のマザーズ市場においても実現不可能ではありません。ただ、このようなIPOは、現行の「一般的な新興企業のIPOの型」から大きく逸脱しているため、設計するためには各ステークホルダーと多大な調整を行う必要があります。

 事実、筆者が知る限り、このような大規模IPOを行なったメルカリやラクスルでは、実務面で大変な苦労を伴っています。新規上場する銘柄を取捨選択して利益を得ようとする投資家の利害から考えれば、あまり恩恵のない構想かもしれませんが、新興企業を育成する、新産業を創出するという、より積極的な立ち位置から考えると、この試案は有効な打ち手になり得るのではないかと、筆者は考えています。

 発行体企業にとって、IPOは(通常は)一度しかないイベントであり、失敗は許されません。そのため、「世の中の通例から大きく逸脱したやり方」に対して躊躇する企業が多く、結果として、これまでの新興市場の主体であった小規模IPOの型を踏襲する傾向にあります。同様に、発行体(スタートアップ)を取り巻くステークホルダーも、こうした小型IPOに実務プロセスや発想の枠組みを最適化しているのが現状であると言えるでしょう。そうであるならば、いっそのこと「大規模なリスクマネー調達を前提とした大型新興企業向けの市場」を設けることで、新たなIPOの「型」を確立しようというのが、この試案の狙いです。

 新市場に即した新たなIPOの「型」のポイントは、これまで新興市場に入りづらかった長期目線の機関投資家(特に海外)に対して、投資機会を開くことにあります。これが実現できれば、新興企業に対するリスクマネー提供者の規模が非常に大きくなり、発行体にとって、IPO後の資金調達の柔軟性を上げる契機となることでしょう。また、新興市場でビジネスを行う証券会社にとっては、新たな収益機会の拡大につながりますし、東証にとっては市場の多様性が増すという点でメリットになり得ることでしょう。

 こうした新市場を想定するにあたり、並行して検討すべきは、現行のマザーズの位置付けです。実際、筆者の周辺からも、「小型の上場を抑制し、米国のように、より大きな時価総額にまで成長した企業に対してのみ、上場の機会を与えるべきである」といった見解が聞かれることが少なくありません。こうした意見を突き詰めれば、「小型企業中心となったマザーズ市場は廃止すべきである」との極論にも発展しかねません。

 こうした「小型上場不要論」に対して、筆者は反対の立場です。

 たしかに、現行のマザーズは小型上場を促進していると揶揄されがちではあります。ただ、GAFA(Google(Alphabet)、Apple、Facebook、Amazonの米国4大新興企業。米国株式市場の時価総額上位を占め、非常に大きな影響力を有する)やBAT(Baidu、Alibaba、Tencentの中国の3大新興企業。同じく巨大な時価総額と影響力を有する)が存在しない日本では、米中のように大手プラットフォーム企業による新興企業のM&Aが期待しづらい状況にあります。アメリカの場合、ベンチャー投資を受けているスタートアップのイグジットの9割はM&Aによるものですが、そこまで多くのM&Aを日本のマーケットで期待するのは、現状においては難しいものがあります。

 仮にマザーズがなくなったとすれば、日本の新興企業のイグジットの機会はきわめて限定的になります。イグジット機会の減少は、起業を志す者の意欲を削ぎ、未上場企業に投資するリスクマネーの提供を急激に停滞させることに繋がるでしょう。ただでさえ、他国比較で起業意欲が低いとされる日本において、懲罰的にイグジット機会を絞り込むことは、せっかく勃興しつつある日本のスタート・エコシステムに対し、冷や水を浴びせかけることになるのです。

 そうした状況に鑑みるに、新産業の創出という観点からは、マザーズ市場は現行に近い形で残しながら、新たに別の新興企業向け市場を創設することが良いのではないかと、筆者は考える次第です。

 明確に象限の異なる複数の新興企業向け市場を作ることで、発行体をはじめ、各市場参加者に対して選択肢を提示することができます。市場構造の抜本的な見直しが進行する今、事業リスクに応じて市場を棲み分け、NYSE(ニューヨーク証券取引所)とNASDAQ(アメリカの新興企業向け株式市場。GAFAなどの大手新興企業が上場している)のような市場の役割分担を目指すことが、よりリスクに見合った資金の循環を促すことに繋がるのではないでしょうか。

「歴史ある企業も新興企業からのステップアップ組も、一様に東証1部を目指す」といった、単線的な市場観ではなく、発行体のリスク・プロファイルに即した多様性のある市場を整備することは、投資家の利益にも繋がるものと、筆者は考える次第です。