日本のポップス界での活躍を捨て、ジャズ・ピアニストになるべく47歳で渡米した大江千里さん。それから12年目となる今、5枚目の前作『Boys&Girls』は全米のジャズラジオチャートで70位に。ライブ活動は全米からヨーロッパにまでと広がっています。9月4日に発売になる6枚目のアルバム『Hmmm』も、さらに磨きのかかったオリジナル9曲を収録。還暦を前に振り返る人生と、音楽への冷めやらぬ思いを4回にわたり、語ってもらいました。インタビュー第2回は、ポップス時代の知られざるエピソードと、そこからなぜアメリカのジャズ専門大学へと留学を決めたのかに迫ります。「自分を裏切らない生き方」の大切さとは。(聞き手/森 綾、撮影/榊 智朗)

「神戸に住んでることにしろ」と

――千里さんは1983年、関西学院大学在学中に、ポップスのシンガーソングライターとしてデビューされました。当時私はお隣の神戸女学院大学の1年生でバンドをやっていたのですが、音楽仲間の間ですごく話題になっていて。たまたま阪急電車に千里さんが乗ってるのをお見かけしたことがあって、隣の車両の連結から必死に覗いていたのを覚えています。神戸の男の子、としてデビューされたのは当地の人間にとっては鮮烈でした。

大江 当時、ヒットメーカーだったEpicソニーの小坂洋二プロデューサーが「神戸からアーテイストデビューするっていうコンセプトってあたらしくていいのじゃないか」って発案したのです。

 そのコンセプトに僕がぴったりはまった。「サザンオールスターズは『鎌倉』ってアルバム出したやろ。大江千里は神戸、芦屋や岡本。これやねん、コンセプトは!甲南女子のきれいどころの女の子がいっぱい客席にいる感じ」って(笑)。

――甲南女子大の女のコはおしゃれで美人が多かったですからねえ…。

大江 実際、神戸のライブハウスのチキンジョージに甲南女子の女の子がたくさん来ました。

 事務所の社長に言われたのは「君は大阪に住んでるよね?」と。「大阪です」「じゃあ、学校が神戸だし神戸に住んでる感じにしといた方がなんとなくいいかもね」と(笑)。

 デビューしてラジオに出始めたらこんなエピソードが。

「今日は大江千里くんが神戸から電話をくれています! もしもし、千里くん、そこから何が見える」「はい、いま道頓…あ、いや神戸です。芦屋の浜が見えます」って。僕はマネージャーに「嘘言っちゃったけどいいのかなあ」って(笑)。「マネージャーは、そうやなあ、『ワラビーをぬぎすてて』オンエアしてもらったんだからええことにしよ」って(笑)。

――そこからもうぐいぐいとスターになっていくわけですよね。「男ユーミン」と呼ばれるくらいに。

大江 当時は男ユーミンなんてユーミンに対して失礼じゃないかという気持ちもあったのですが、でも家出して何食わぬ顔で家に戻ったタフな僕もいて、勢いづいているときは「乗るときは乗らなきゃ」という気持ちもありました。

 それで3枚目のアルバム『未成年』がオリコン5位になって人に知られるようになっていきます。