自分を裏切らない生き方をしていたら、また人の心を開かせることができるかもしれない

――2012年にインタビューをさせてもらったときに、たくさんのファンやお世話になった人たちを裏切った心苦しさも語っておられました。今振り返って、2008年、47歳でアメリカに飛び立ったときの自分はどんなふうに見えていますか。

大江 今思うに、「物事は起こるべくして起こっている」と素直に思えます。

 あのとき渡米しなければ僕のアメリカジャズデビューもなかったし、去年の全米ラジオ70位もなかった。アメリカ各地やアムステルダムやメキシコシティで、曲が終わり立ち上がってブラボーをくれる人たちがいることも知らなかったし。そして今年9月、僕はアメリカメジャーのSony Masterworksと契約が成立したのです。ブランフォード・マルサリスやヨーヨー・マが在籍するレーベルです、何かを起こすということに早いとか遅いとかはない。心に忠実に動けるエネルギーがある間に、パッと動くことが重要です。

 時に人生には、それを選ぶがゆえ結果として人を裏切ること、悲しませることもある。大切なのは自分を裏切らない、自分の信念を貫き通す生き方をすることなんです。望みを捨てず虎視眈々とやり続けると、少しずつでも周りの見る目が変わる事もある。でも一番大事なのは自分を裏切らない事。

 渡米して12年、日本でのコンサートの数もほんの少しずつ増えてきて、そういうのを心の奥で本当にしみじみ感謝します。

 10年一区切りって人は言うでしょ。やっとほんの少し何かが動いてきた、そんな気配を感じます。今まで無風だったのが。

――ブルーノート東京での5月の公演も、3日間6公演、満杯でしたね。

大江 ジャズのファンのかたもポップ時代からのファンのかたもいますし、大江千里のジャズを楽しんでくださっているのかなと思います。

 昔のスタジアムでのアクシデントみたいなことはこれからもあるでしょう。ただ僕が思うのは、何が起ころうとも平均台の上から足を滑らせてこけてはいけない。

 今この瞬間にやりきる。最高に仕上げる。その信念から一歩もズレないことです。

【大江千里インタビュー2】「男ユーミン」と呼ばれ、メガヒットを飛ばしたポップス時代を捨てて

大江千里(おおえ・せんり)
1960年生まれ。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー。
「十人十色」「格好悪いふられ方」「Rain」「ありがとう」などのシングルがヒット。
2008年ジャズピアニストを目指し渡米、NYのTHE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSICに入学。2012年、大学卒業と同時に自身のレーベル「PND Records & Music Publishing Inc.」を設立。同年1stアルバム「Boys Mature Slow」でジャズピアニストとしてデビューを果たした。
2015年には、渡米からジャズ留学、大学卒業までを記した著書「9番目の音を探して」を発表。2016年夏、4枚目にして初の全曲ヴォーカルアルバム『answer july』を発売。
2018年1月に発売した「ブルックリンでジャズを耕す」では、海外で起業するその苦闘の日々を軽やかに綴っている。
2018年にはデビュー35周年記念作品『Boys & Girls』が大ヒットを記録。
現在、ベースとなるNYのみならず、アメリカ各地、南米、ヨーロッパでライブを行いながら、アーティストへの楽曲提供やプロデュース、執筆活動も行っている。アメリカのSony Masterworksから「Hmmm」デジタル版が発売された。
「senri gardenブルックリンでジャズを耕す」で、ジャズマンの日常を綴っています。
PND RECORDS オフィシャルサイト
日本盤「Hmmm」スペシャルサイト