「誰かが喜ぶ顔を想像する」ことがものすごく自分の中に新しいエネルギーを生んでいる
――ここ10年で、音楽業界は本当に様変わりしました。売り出されるCD全体よりもイベントの売り上げが高くなってしまったり。若い世代には音源にお金を出す、という感覚がありません。こういう時代でアーティストは本当に大変だと思います。今までレコード会社がやってくれたことを、自分でコストを払ってやらなくてはならない。
そういう、音楽ビジネスそのものが激変していくなかで、大江千里という人がポップスよりマーケットの少ないジャズに移行したということは、大きな意味があるように思います。
ご自身で、米国版のCDを発送されたりしていますよね。
大江 忙しくなってくると全部自分一人でやるのは結構大変なのですが、基本的に自分でやっています。
場合によってはたった一人のお客様のCDを発送するために郵便局にいかなきゃいけないこともありますよ。配送が終わったあと郵便局で晴れ晴れしい気持ちで携帯を見ると、なんとそのタイミングで別のCDのオーダーがあったりもする。ものすごく嬉しいのだけれど「ああ、もうちょっと早かったら2枚まとめて配送できた」と思ったりもする。そんな繰り返しです。
PND RECORDSは小さな原版制作会社。規模は小さくていいからまずは自分でやってみようというのが僕の「一人ビジネス」のスタートだったのです。
配送しに行く前は「よし」と気合を入れないと腰が上がらないけれど、いざ電車に乗って、駅の階段を降りて上がって、CDの袋を大事に抱えて人並みをかき分けて、いざ郵便局へ行くと長い列ができていて、やっと自分の番になっても窓口でかかる時間はおひとりさま平均10分くらいはかかります。日本語をローマ字にリライトしたものを更にタイプで再入力するのに時間がかかるんです。だから5枚だと窓口を50分独占するんです。なるだけ人のいない時間を見計らっていきますが、たまに混んでると後ろで待ってる人には申し訳ない気持ちになります。ただ「ありがとう」「「いい一日を」と会話して出し終えた後は爽快感と達成感でいっぱいになる。結果、それがいい気分転換なのです。これは勝手にやってることですがCDと一緒にカードを書いて、添えたりすることもあります。ただ宛名を間違えないように書かないといけないので老眼世代にはきつい仕事です。丁寧に封をしすぎて「ノリでカードが封筒にくっついていた」とクレームをいただくことも。配送を完了したら、何月何日到着予定です、もう少しだけお待ちくださいとメールで配送のご報告をするんですが「きっとこれ読んだら今頃ワクワクし始めているぞ!」ってこっちまで嬉しくなるんです。だから一つ一つは決して小さなことではないんですね。「誰かが喜ぶ顔を想像する」ことがものすごく自分の中に新しいエネルギーを生んでいるんです。
――ビジネスのやり方が全然違うんだけど、千里さんの新しいプライドが気持ちいいです。
大江 昔は大江千里がそこまでやらなくていいとか、アーティストのイメージとか考える時代があってそれはその時代にワークしてたと思うんです。今の時代は個人事業が魅力を発揮できる時代、発売日なんかころころ変わるししょっちゅう情報は書き変わったりするけれど、そのスリルとフットワークの軽さが売りだったりもするんです。あと、「一人ビジネス」の肝は「人」ですね。人とダイレクトにつながれる。何を知っているかではなくて、誰を知っているかがものすごく重要になります。だから、ものすごい数の人と出会いがありますが、ものすごい数の人と別れていく、その渦中でほんの一握りの人と繋がってそれがまた次へ確実に続いていくみたいな、それを今やりつつあります。
――そういうチャレンジができるのが大事ですか、今。
大江 誰かが守ってくれるわけでもなく、特定の社員がいるわけでもない。それが、たった一人でやるビジネスの基本なんです。犬はそばにいますけれど(笑)だから直感が本当に大事。それとスピード。今はスピードが命です。「確認します」って数時間メールが途絶えているうちに物事は先へ進んでいます。一人一人が責任を持ってその場で返答できないと終わってしまうことも多い。僕は音楽家でジャズメンだけれどジャズだけをやっているとビジネスにはならない。マーケティングができない。なので自分の仕事以外を知るために時間を使います。人と知り合うメリットはここです。自分というマザーシップの周りを衛星のように専門職の人が回る。「ジャズメンらしからぬ話題になりそうなPVを低予算で撮って次々にアップしていこう」とか「ラジオPRの人とハイシーズン4ヶ月組んで全米でやってみよう」とか「ネットラジオのヘビーオンエアにお金を投下しよう」とか、面白いなと思ったら迷わず進みます。でダメならやめる。で何故ダメだったかを検証して次に再びしくじらないように気をつける。大海原へ向かうボートを自分で選別して素早く乗り込んで、一旦海を目指したら途中で絶対に下船しない。海の匂いがするまでは。