チャンスが0.5%でもあるなら、トライトライトライ!
――あと1~2年で60歳です。どうしましょう。
大江 60歳はまだ青春ですね。僕、2度目の大学を卒業したのが52歳だったから、まだ卒業して7年の感覚がどこかにある。それは錯覚なのだけれど、それでもいいかなと思って。この仕事は自分がスタンダードを決めればいいわけで僕は卒業して7年。だからまだ28や29歳なわけです。たまに、同級生と会うと、「えー。俺らけっこう年いって来たよねー。30までもうすぐじゃん」みたいな会話になる。「そうそう」なんて相槌しながらでも僕の年齢はそれに30足さなければいけないわけで、実際は「59」(笑)。
体力、視力、聴力の衰えはあるけれど、年齢なんてただの記号なわけで、30年分経験値のある30歳手前ってコンセプト、悪くないかなって。老眼も指の疲労も腰の痛みもそれはそれでなんとなく味になればいいし。真面目な話に戻ると年齢による変化をうまく味方につけて、自分にしかないフレッシュさで、いい意味でのあの頃とは一味も二味も違うマチュアな本当の青春が今始まり出したって感じ。
――それに、いろんなことを受け止める力がすごく大きくなっているかもしれないですね。
大江 そう、頭を打ってきた分慎重になるのではなくて更に冒険を試みる、そして起こりうることをしっかり受け止める、それが一番。
こうやって、今日も派手なアロハシャツを着たりしているけれども昔はなかなかこれが力が抜けた風というか自然には見えなかった。それがこの歳になってくるとそれなりに「抜け感」で見えてきたりして、「こんな感じが自分が好きなものなんだからしょうがないじゃない」って居直るわけじゃないけれども、逃げも隠れもしない感じになる。おそらくざっくり捨てる勇気みたいなものが少しずつわかってきたから本当に好きなものを追求しようというふうに思える年代なのかもしれないですね。これを終活とかまだ言いたくないですけれど、ほんの少しいい加減になるというか、いい加減を知るというか、それがほんの少しだけわかってきたのかなって思えるということも人生の大きな収穫かもしれません。
――今年はどんなところでコンサートをされるのですか。
大江 今年はHmmmのワールドプレミアをNYのレジェンドでもあるバードランドで行いました。公演が終わると経営者のジョアンニさんから来年1月のスケジュールを早速トリオでいただきました。1月にはDCのジャズの名店ブルースアレーをトリオでやります。10月はソロピアノでまずシカゴを周り、その後イタリアローマのグレゴリーというジャズクラブで2夜現地のミュージシャンとともに演奏します。直ぐその後はアルバニアのジャズフェスで2回演奏します。ここでもアルバニアのSAXとセッションがあります。NYではマンスリーで53丁目のトミジャズにソロで出ますし11月20日にはLAのVittelo’sがトリオで決まっています。
――千里は「千の故郷をもて」と付けられたお名前だと聞いたことがありますが、まさに世界中にふるさとができそうですね。でも、拠点はやはりアメリカですか。
大江 拠点がどこなのかはまだわからないです。でもこうやってNYにいて、こうやって仕事してきてだんだんわかってきたことは、僕はアメリカで仕事をしているわけじゃなくてNYという磁場でやっているのだということ。そして僕の国籍は日本でもアメリカでもなくニューヨークなんだということ、それを今強く感じます。
そしてニューヨークが強いのはBroadwayやCM。で、ロスはドラマと映画。
今僕が組んでいるPRの会社がロスにあるし、これからは「映画」もやってみたいです。演奏家としてSenri Jazzを布教しつつ、「曲を書くこと」で僕自身のコアな部分を、もっと肥やしていきたいのです。西海岸での仕事の時間も増えていくと思います。
――そういえば、今日、最初に聴かせてもらった「Poignant Kisses」はちょっとウエストコーストの匂いがしました。
大江 そうですか。SENRI JAZZをここのところずっとアメリカ中心ですがソロでやってきました。
今度はそれと並行してトリオのフェーズも加わって次のステップへ。チャンスが0.5パーセントでもあるなら、そこはトライトライトライあるのみです。
――生涯、現役で弾きたいですか。
大江 Hmmm…。
素晴らしい人生を送れるように。無我夢中でがんばりたいなと思っています。今はそれだけです。後は感謝。今ここでこうやってやれること、もうこれだけで「丸儲け」な人生です。
――Hmmm…。なるべく長くずっと聴きたいので、がんばってください!
大江 はい!
大江千里(おおえ・せんり)
1960年生まれ。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー。
「十人十色」「格好悪いふられ方」「Rain」「ありがとう」などのシングルがヒット。
2008年ジャズピアニストを目指し渡米、NYのTHE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSICに入学。2012年、大学卒業と同時に自身のレーベル「PND Records & Music Publishing Inc.」を設立。同年1stアルバム「Boys Mature Slow」でジャズピアニストとしてデビューを果たした。
2015年には、渡米からジャズ留学、大学卒業までを記した著書「9番目の音を探して」を発表。2016年夏、4枚目にして初の全曲ヴォーカルアルバム『answer july』を発売。
2018年1月に発売した「ブルックリンでジャズを耕す」では、海外で起業するその苦闘の日々を軽やかに綴っている。
2018年にはデビュー35周年記念作品『Boys & Girls』が大ヒットを記録。
現在、ベースとなるNYのみならず、アメリカ各地、南米、ヨーロッパでライブを行いながら、アーティストへの楽曲提供やプロデュース、執筆活動も行っている。アメリカのSony Masterworksから「Hmmm」デジタル版が発売された。
「senri gardenブルックリンでジャズを耕す」で、ジャズマンの日常を綴っています。
PND RECORDS オフィシャルサイト
日本盤「Hmmm」スペシャルサイト