「不安定な資本主義」を救出する方法とは?

――なるほど。思ったんですが、バブルとデフレとは真逆の現象ですが、本質は同じですね? 「楽観」が支配的な時期には、どんどん融資を受けて投資することが経済合理的であり、その結果、バブルが生まれる。「悲観」が支配的な時期には、節約することが経済合理的であり、その結果、デフレが進行する。だとすると、やはり、市場に任せれば需要と供給が自然と均衡することはないということになりますね?

中野 そうそう。だからこそ、ミンスキーは、「一般均衡理論」を信奉する主流派経済学から「異端視」されたわけです。

――あと、ミンスキーは、「信用創造」こそがバブルとデフレの原因となっていると言ってるようにも聞こえます。

中野 そのとおりです。前にも話したように、銀行が「無」から預金通貨を生み出す「信用創造」のメカニズムが資本主義の発展の原動力になったわけですが、それは同時に、資本主義の構造的な不安定性の主因でもあったわけです。

 もちろん、ミンスキーは信用創造という銀行制度を否定しているわけではありません。彼はこう言います。「銀行制度と金融は、我々の経済においてきわめて撹乱的な力となりうる。しかし、動態的な資本主義にとって必要となる金融とそのビジネスへの対応の柔軟性は、銀行制度の過程なしには、あり得ないのである」と。

 つまり、彼は、資本主義の中核となる銀行制度を積極的に評価していたということです。だから、社会主義者のように、資本主義に代わる全く新しい経済システムを構築しようとは考えませんでした。そうではなく、本質的に不安定な資本主義を救出するためには、どうすればよいかを考えたのです。

――常識的な考え方ですね?

中野 そう思いますよ。そして、ミンスキーは、資本主義を安定化させるために、国家(政府)が重要な役割を果たしていることを見出しました。

 彼は、第二次世界大戦後の資本主義を観察して、金融危機はたしかに起きてはいるものの、それがデフレ不況にまで発展しなくなっているという事実に気づきました。たとえばアメリカでは、1962年に金融危機が起きていますが、この時の金融危機は、1929年の世界恐慌とは異なり、デフレを引き起こしませんでした。なぜか? 

 こう問題提起を行ったミンスキーは、デフレを抑止する機能をふたつ特定しました。ひとつは、中央銀行の機能です。1929年の世界恐慌の原因のひとつは、金融危機の発生によって信用収縮が起き、民間金融市場が機能不全に陥ったのに、FRBが資金供給の拡大を図らなかったことにあります。しかし、戦後は、同様の事態が生じると、中央銀行が適時に資金を市場に供給するようになり、金融危機を阻止できるようになったのです。

――なるほど。

中野 デフレを抑止するもうひとつの機能として、ミンスキーが特定したのは、政府支出でした。ミンスキーは、戦前と戦後のアメリカの資本主義を比較し、その政府の大きさの違いに注目しました。アメリカの政府支出のGDPに占める比率は、1962年には、29年の約10倍になっていました。そこから、ミンスキーは、政府支出の大きさがデフレを起こしにくくしているのだと考えたのです。

 資本主義という経済システムでは、現在の投資は、将来の利潤が期待される時にのみ行われます。しかし、将来の利潤に対する期待が悲観的になれば、現在の投資が行われなくなり、需要不足となり、デフレが発生します。しかし、もし減少した投資を政府の公共投資が補い、不足する需要を埋め合わせれば、デフレ・ギャップがなくなり、物価の下落が止まるというわけです。

――つまり、ミンスキーは、戦前と戦後のアメリカ政府を比較することで、ケインズ経済学が正しいことを実証したわけですね?

中野 ええ。実際、リーマン・ショックのあと、世界各国は、公共投資や減税を行うことによって、財政赤字を大幅に拡大させました。基本的に均衡財政を理想とする主流派経済学者ですらも、当時は、戦後最大の世界金融危機を前にして、積極財政を容認しました。その結果、世界規模の恐慌の発生は回避されました。すべてミンスキーの言ったとおりになったんです。

――異端視されていたミンスキーが正しかったと?