會田武史商社での仕事は楽しく、尊敬できる人物も多かったと語る會田さん

 三菱商事に11年に入社し、東欧で自動車ビジネスに携わった會田武史さん(31歳)は17年に退社する直前に社内の兼業第1号として、AIを搭載したクラウドIP電話サービスを展開するRevCommを創業した。実家が祖父の代から事業を営んでいたこともあり、起業することが子供の頃からの夢。米国留学中にその思いをより強くした。

 商事での仕事は楽しかった。何の不満もなく、同僚や上司には人格、能力共に優れた人が多いと感じていた。自身の将来像について、部門の本部長になり、高級住宅街で家族と暮らすところまでは想像できたが、起業家への夢は捨て切れなかった。

社内ベンチャーへのアイデア提案も通らず
規模を追うのは確かに商社には合理的

 商事をはじめ商社は数年前まで資源ビジネスで多くのキャッシュを得てきた。だが、今後の伸びは期待しにくい。将来の成長のため、このキャッシュをデジタル分野に大きく振り向けるべきではないか――。社内ベンチャーのアイデアを提案しても、実現しなかった。

 物産と同様、商事でもやはり、ゼロからビジネスを生み出すことよりも、資金力でリターンの大きい分野への投資をしようという力学が大きく働く。會田さんはそれも理解できた。トップが海外の首脳と面談し、各国政府に食い込んで巨額のビジネスを物にする芸当は商社ならではであるし、こうした事業に資源を集中させるのは、むしろ合理的でもあるのだ。

 ただ、そうした巨大な枠組みの中で一社員として役割を果たすことを、彼ら自身がどう捉えるかという問題は残る。

 物産を18年に退社し、現在はAIなどを用いて工業製品や生産設備の不備を発見するサービスを展開するアダコテック社長を務める河邑亮太さん(32歳)。11年に入社した物産では、入社3年目で自動車部門の南米チリの子会社に出向し、トップの補佐としてマネジメント全般を経験した。「文化や習慣が異なる国で、何百人の部下を抱えた。外資系企業でもできないような大きな経験だった」と振り返る。

河邑亮太商社での将来のキャリアとのギャップを感じ、退社を決めた河邑さん

 チリからの帰国後も数百億円規模の案件を任されるなど大きな仕事を手掛けたが、転職を考えるようになった。

 もともと商社を志望したのは、子会社を多数抱える商社ならば経営者として活躍できるのではないかという思いもあったからだ。だが、大規模で息の長いビジネスを得意とする商社はとりわけエネルギーや環境部門において、時間をかけて深掘りしていく傾向が強い。

 一方でデジタルやテクノロジーの分野では若手のベンチャー経営者が活躍し、インターネットメディアでその様子が伝えられる。30歳前後の頃に同期や先輩、後輩と話すと、年功序列が残る社内で、取り残されていると感じる声も多かった。

同世代の活躍に“取り残されている”と焦り
商社での特化したキャリアも望まない

 また会社に残ってそれなりのポジションに就くまでには時間がかかるし、実力だけではなく運も必要となる。規模が小さくても、ベンチャー企業ではいきなり幹部になれ、個人の成長に資するのではないか。

 同時に転職マーケットは広がり続けていた。南米の子会社で積んだ経験は貴重ではあるものの、自動車や南米に特化したキャリアを歩みたいわけではなかった。

 文系出身の河邑さんはデジタル分野の知見が少ないことをコンプレックスに感じており、18年にDMM.comに転職。19年にアダコテックに転じた。

 もちろん商社も若手の流出を問題視している。世代間ギャップやキャリア観の違いを乗り越えて若手やデジタル人材をどのように囲い込むか、模索を続けている状態だ。もちろん、商事と物産だけではなく、他の総合商社にとっても頭の痛い問題であるだろう。

“辞め商社”団体と現役社員も交流
育った古巣にはいずれも感謝の念

 物産や商事は最近、アルムナイと呼ばれるOB・OG組織と現役幹部や社員との交流の機会を設けている。商事出身の會田さんは「外資系企業に転職し、再び商事に戻って活躍している人材もいる。OBやOGの成功例が出てくれば、商事も変わっていくのではないか」と期待する。

 今回取材した4人はいずれも、自らの基礎を育んでくれた古巣への感謝を口にした。彼らの古巣に対する“諫言”と“謝辞”をどう受け止め、自社の変革に生かすことができるのか。商社の将来を決める上で、大きなファクターとなりそうだ。

Key Visual by Noriyo Shinoda

【訂正】1ページ6段落目 の「常務執行役員」を「幹部」に訂正し、3ページ15段落目を削除します。(2020年4月23日16:35 ダイヤモンド編集部)