「前例主義」が
84人死亡の惨事につながった

 9年前の東日本大震災でも、前例主義によりもたらされた悲劇は各所でみられました。

 児童や教員の計84人が津波で亡くなった宮城県石巻市立大川小学校では、3月11日、校長が不在のなか、教頭が意思決定をする立場にありました。

 震災の2日前、宮城県では震度5弱の地震があり、津波注意報が出ました。そのときには、校庭への一時避難はしたものの高台への二次避難はしませんでした(生存児童へのインタビューでは、そのまま「休み時間」のようになったと表現していました)。

 つまり、津波注意報が出たときの校長の判断は校庭待機だったのです。そして、これが津波警報発令時の「前例」となりました。

 さらに大川小には、津波警報が発令されたときにどうするか指針となるマニュアルも存在していませんでした。あったのは通常の地震のマニュアルをコピペしたもので、津波のときの二次避難先は「近所の空き地や公園」となっており、高台に避難するという方針は共有されていなかったのです。

 教頭のほか、教務主任、安全担任といったトップ3の先生は「山に逃げたほうが良いのでは」と言っていたという証言があり、山はダメだといった教員は1人だけでした。スクールバスの運転手は、バスで逃げたほうが良いと主張していました。児童も保護者も山に逃げようと訴えていました。

 しかし、2日前の校長が示した前例は校庭待機でした。また、避難方針はありませんでした。そうしたなかでさまざまな主張の板挟みとなり、1分で逃げられる裏山を目の前にしながら校庭待機を続け、50分の時間があったにもかかわらず、津波が目前に迫るまで動き出すことができず、結果84人が亡くなる惨事となってしまったのです。

 前例に沿っていれば失敗しても「前例に沿っただけです」といえますが、前例にないことをやるときや、プラン(方針)変更をする際には責任が生じます。教頭にとってみれば、校長不在のなか、校庭待機の前例を覆し、裏山へ登らせて誰かが転んでけがをしたら自分の責任になってしまう。そういった「責任回避バイアス」が意思決定の停滞を招いた1つの要因にあったと考えられています。

 即座の決断が求められる危機のマネジメントにおいては、前例に囚われることで、文字通り致命的な結果を招くことにもなるのです。