埋没コストにとらわれ
被害を拡大させた太平洋戦争下の日本軍

 方針変更ができない今の日本は、かつての日本軍が陥った“失敗の本質”そのものであり、第二次世界大戦末期の戦局の悪化に伴って戦略プランを変更できずに、被害を拡大させた姿とも重なっています。

 たとえば、日本軍は水際で敵を撃滅する「水際作戦」を採用していました。もちろん上陸させないに越したことはありませんし、また戦力的に勝っているならば可能でした。

 しかし、太平洋戦争では、圧倒的な戦力を擁するアメリカ軍と戦うなかで、水際に配置した兵力は圧倒的な火力による爆撃、艦砲射撃によって作戦初期段階で失われていきました。しかし、大本営は「断固として上陸を阻止せよ」と水際作戦を継続させ、さらに被害を拡大させ、貴重な兵力をいたずらに損耗させていきました。

 なぜそうした不条理が起きたのでしょうか。埋没コスト(プランの変更、中止をしたときに取り返せないとされる費用)の観点からいえば、ここで方針を切り替えたら、今までの戦略が間違っていたと非を認めることになり、その作戦により死んでいった兵を無駄死にさせたことになってしまう、つまり埋没コストにしてしまうと考えたためと、考えられます。そのための責任を取ることは避けたいという、という「責任回避バイアス」も働いていた可能性があります。

 それに対して異論を持つ人もいましたが、上司を説得するための「取引コスト」は膨大になり、しかも聞き入れてもらえる可能性はほぼゼロです。相手の機嫌を損ねればこれまで軍で積み上げてきた信頼も実績も失われる(埋没コスト化する)状況で、進言できる人はほとんどいませんでした。まれにいたとしても、そうした人は部下ごと激戦の最前線に送られることで、まっとうに進言できる人から組織にいなくなるという“逆淘汰”が起こり、膨大な数の命が無駄に失われていくという不条理が継続されてしまったのです。

 しかし、例外もあります。太平洋戦争の戦況が悪化するばかりの1944年、本土防衛の最後ともいうべき硫黄島の戦いが始まります。小笠原方面最高指揮官、栗林忠道陸軍中将は、大本営の指令に従わず、水際作戦を内地持久戦による徹底抗戦に変更し、アメリカ軍を迎え撃つべくトンネルを掘り巡らせ、ゲリラ戦を展開しました。これによって絶望的な兵力差から5日間で終わるとみられていた硫黄島の戦いは、圧倒的な戦力を持つアメリカ兵のほうが日本兵の死傷者数を上回るという戦果をあげたのです。

 この連載の第2回で紹介した「方法の原理」――方法の有効性は目的と状況によって変わる――に沿っていえば、栗林中将は、圧倒的な戦力差があるという「状況」を踏まえたときに、本土防衛という「目的」を達成するために、前例や大本営の指令に従うのではなく、状況と目的にかなった新たな方法を考案、実施したのです。