モバイルゲームは過去20年の間で大きく発展した市場の1つです。先日、ゲームメディア・電ファミニコゲーマーは「日本モバイルゲーム産業史」というプロジェクトを発表しました。モバイルゲーム業界の当事者目線で、過去20年の同産業の歴史をふりかえります。
20年のモバイルゲーム史をふりかえる
朝倉祐介(シニフィアン共同代表。以下、朝倉):先日、電ファミがDeNA特別協賛企画として、「日本モバイルゲーム産業史」というプロジェクトを発表しました。日本のモバイルゲーム産業を体系化し、当事者たちの証言・記録とともに一年間かけて詳しく掘り下げていくという内容です。
シニフィアンのメンバーも、モバイルゲーム業界には一定の当事者性を持っています。私はミクシィに、小林さんはDeNAに在籍していましたし、村上さんもゴールドマン・サックス在籍時に通信業界を担当していました。この機会に、我々も、過去20年間の日本のモバイルゲーム史について振り返ってみたいと思います。
小林賢治(シニフィアン共同代表。以下、小林):電ファミが発表したこの企画では、1999年のNTTドコモによる「iモード」、DDIセルラーグループ(現KDDI)による「EZweb」、J-Phone(現ソフトバンク)による「J-スカイ」サービスの開始から記載されています。
約20年間の日本におけるモバイルゲーム史がカバーされており、かなり力を入れて制作された大作と言えると思います。まず、大まかに振り返ると、日本では、世界に先駆けて、iモードを中心としたガラケー用のゲームによって、携帯電話におけるゲームエコシステムが形成されました。
各キャリア主導の公式サイトの存在の横で、いわゆる「勝手サイト」(非公式サイト)として、モバゲーやGREEといった独立型プラットフォーマーがガラケーゲーム市場のプラットフォームとして台頭し、市場の成長を牽引してきました。
朝倉:モバゲーやGREEは当時、勝手サイトという立ち位置でしたね。
小林:はい。当初はそういった立ち位置だったのですが、2006年あたりから2010年にかけて、急速に市場が拡大しました。その後、スマートフォンが普及して、iOS、Android主流の時代へと移り変わっていきました。
そうした流れの中で生まれたのが、『パズドラ』や『モンスト』です。その後、しばらく経ってから『ポケモンGO』が流行する、といった直近の流れの中で、日本勢はプラットフォーマーとしてではなく、ゲームデベロッパーとして事業を成長させていきました。
朝倉:主戦場がガラケーからスマートフォンに移行した後も、2014年頃まではWebベース/HTMLベースでスマートフォン向けゲームを提供する事業者と、スマホアプリでゲームを提供する事業者が併存するという過渡期がありましたね。
小林:そうですね。今となっては懐かしいですが、当時は、「ネイティブ/ブラウザ論争」とでも言いますか、ブラウザかネイティブ、どちらの市場が優勢となるかといった神学論争めいた議論もありました。
直近では2017年にリリースされた荒野行動を筆頭に、日本以外の国が提供するモバイルゲームが日本でも大ヒットするという流れが起きました。これらのことからも分かるように、モバイルゲーム市場の形は、この20年の間で大きく変わりましたね。