そういう新型コロナウイルス対策のメタファーとして、戦争は、うってつけだったのだ。

 すでにトランプ前米大統領、マクロン仏大統領などが、戦争のメタファーを用いたが、バイデン大統領も、昨年11月25日の演説で、次のように国民に訴えかけていた。

「我々は、この国で、一年近く、ウイルスと戦ってきた。それは、苦痛、喪失感、不満をもたらし、多くの命が犠牲になった。26万人の米国民の犠牲であり、しかもそれは増え続けている。我々は分断された。そして、互いにいがみ合っている。この国が戦いに倦んでいることは知っている。しかし、我々は、互いにではなく、ウイルスと戦っていることを思い出す必要がある。」

 また、今年2月22日の演説では、新型コロナウイルスによる死者数が50万人を超えたことについて、二つの世界大戦とヴェトナム戦争の犠牲者を足したよりも多いと述べている。

 この「戦争」というメタファーは、新型コロナウイルス対策のみならず、巨額財政支出を正当化する上でも有効である。なぜなら、戦時中には、敵国に勝利するために、巨額の戦時国債を発行して戦費を調達することが正当化されるからだ。

 興味深いことに、経済学者ポール・クルーグマンは、約1.9兆ドルの「米国救済計画」を擁護した際、「戦時中の財政支出は、戦争に勝つため必要なだけ出すものだ」と論じた。かつて政府債務の増大に警鐘を鳴らしたことで有名な経済学者カーメン・ラインハートですら、新型コロナウイルス対策に関しては、「まず戦争を戦うことを考えよ。どう戦費を調達するかを考えるのは、その次だ」と言ったのである。

 このように、新型コロナウイルス対策を戦争になぞらえるメタファーは、コロナ対策である「米国救済計画」を正当化する上では有効であった。

「中国」という地政学的脅威と「リベラル」な財政政策

 もっとも、新型コロナウイルス対策である「米国救済計画」とは異なり、「米国雇用計画」は成長戦略であるから、「新型コロナウイルス対策=戦争」のメタファーは使えない。しかし、「米国雇用計画」の正当化には、メタファーではなく、地政学的脅威そのものが論理として持ち出された。

 その地政学的脅威とは、中国である。

 例えば、ジェイク・サリバン大統領補佐官(国家安全保障担当)は、かねてより、安全保障上の観点から、中国に経済的に勝利するために、国内のインフラ投資や産業政策が必要であると訴えていた。

 また、ジャネット・イエレン財務長官は、1月19日の上院財政委員会指名公聴会で、こう発言していた。「中国との経済競争に勝利するには、国内で、労働者、インフラ、教育そしてイノベーションに、転換的な投資を行うことが必要だ。我々は国内でより進歩しなければ、長期的に競争力を維持できない。」

 さらに、バイデン大統領は、「米国雇用計画」等を公表した3月31日の演説で、繰り返し、中国との競争に勝利するためという論理に言及した。この論理は、中国に対する警戒心がより強い共和党を取り込むためのレトリックでもあることは言うまでもない。

「これ(「米国雇用計画」)は、経済を成長させ、米国の競争力を高め、国家安全保障上の利益を促進し、今後の中国とのグローバルな競争に勝利する地位を確保するだろう」
「これは、バッテリー技術、バイオテクノロジー、コンピュータ・チップ、クリーン・エネルギーなどの市場、特に中国と競争しているグローバルなリーダーシップを争う市場で、米国のイノベーションの強さを高めるだろう。」
「彼ら(共和党)も、中国や他の国々が我々のランチを食っていることを知っている。だから、もう一度、両党が手を結べない理由はない」
「私は、歴史が民主制と独裁の根本的な選択を迫られた時代に戻りつつある時にいると本当に信じている。世界には、民主制はもはや合意に達せないが独裁なら可能だから、独裁が勝つだろうと考えている独裁国家がたくさん存在する。これこそまさに、米国と中国とその他の世界が競争していることだ。基本的な問題は、これだ。民主制はまだ人々の期待に応え得るか、多数の支持を得ているか。
 我々ならできると私は信じる。我々はしなければならないと私は信じる。」

 この「米国雇用計画」については、クルーグマンはもちろん、サマーズも支持しており、他のリベラル派の経済学者からの評価も高い。コロナ禍や長期停滞を克服するだけでなく、格差を是正する上でも、積極財政が必要だからだ。

 しかし、そのリベラルな積極財政を実現するのに、「戦争」というレトリックが必要とされたというのは、皮肉なことである。

 他方、先の戦争で敗戦国となった我が国では、「戦争」というレトリックで積極的な行動を正当化するのは忌避されがちである。実際、新型コロナウイルス対策に関しても、「戦争」のメタファーは使われていない。

 そして、実に厄介なことに、そういう平和国家の日本が、同時に、財政支出を惜しみ、国内の格差の拡大や貧困の増加を放置しているというのもまた、事実である。しかも、米国以上に、中国という地政学的脅威に直接的にさらされているにもかかわらずだ。

 ここには、日本固有の問題が横たわっているように思える。「戦争」というレトリックが通用しない我が国で、どうやったらリベラルな積極財政への転換を実現できるのであろうか。他国が未曾有の危機に目覚め、「戦争」というレトリックによって前代未聞の積極財政へと舵を切るなか、日本がこのまま従来の緊縮財政を続ければ、決定的な没落はまぬかれないだろう。残された時間は少ない。

中野剛志(なかの・たけし)
1971年神奈川県生まれ。評論家。元・京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』『日本経済学新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『国力論』(以文社)、『国力とは何か』(講談社現代新書)、『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)、『官僚の反逆』(幻冬社新書)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)など。『MMT 現代貨幣理論入門』(東洋経済新報社)に序文を寄せた。最新刊は『小林秀雄の政治学』(文春新書)。