組織で「浮いた」2人に見えた
官民共同プロジェクトの本質

竹内 当時の私は大学に転身したばかりで、まだ右も左もわからない状況でした。だから、何度か顔を合わせてはいたものの、宇佐美さんが役所の中でどういう立場なのかはわからないわけですよ。ただ、しばらくして周りが見えてくると、「どうやら宇佐美という男は経産省内で相当浮いているらしい」というのがよくわかりました(笑)。

宇佐美典也(うさみ・のりや)
1981年、東京都生まれ。暁星高等学校、東京大学経済学部を経て、経済産業省に入省。企業立地促進政策、農商工連携政策、技術関連法制の見直しを担当したのち、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)にて電機・IT分野の国家プロジェクトの立案およびマネジメントを担当。2012年2月に開設した「三十路の官僚のブログ」(現在は「うさみのりやのブログZ~三十路の元官僚のブログZ~」に改称)では、自身の給与や官僚生活を赤裸々に公開して大きな話題を呼んでいる。

宇佐美 それはお互い様です(笑)。竹内先生も半導体業界の中で相当異質な存在で、プレゼンテーション資料からして他の人とはつくりが違っていました。多くの研究者の方々は「自分の研究を世の中にアピールする」という観点で資料をつくるのに対して、先生は「自分の強みを活かして、世の中のニーズに応じた技術を開発する」というスタンスで資料をつくってくるんですよね。だから、わかりやすいし、応援したくなる。ただ、「この人きっと研究の世界で浮いているだろうな」とは思っていました。

竹内 長く同じ場所に在籍する人ほど保守的になりがちなのは、どこの組織でも同じですよね。私の場合、東芝に入社して7年目の時、「優れた技術を開発しても商品化できないのはなぜか?それはマネジメントの問題ではないだろうか」と思って、スタンフォード大学のMBAに留学しています。全く違う領域に飛び込んで環境を変えたことが、大きな転機になりました。

 きっと、留学経験で周りのエンジニアとは違った感覚が身につき、結果的に「浮いてしまう」ことにつながったのだと思います。そんな時、官側で「ちょっと浮いていた」宇佐美さんと出会えたのは幸運でした。研究者として世界で戦っていくためにはこの方向だろう、と考えていたことを、官側の宇佐美さんが理解してくれて、新しいプロジェクトを一緒に立ち上げることができました。

宇佐美 そう言ってもらえるとありがたいです。官僚冥利に尽きます。もう元官僚ですけど(笑)。電機業界は、小泉政権誕生前後からリーマンショックあたりまでは好況で、産業政策に関して経産省が全面に出ることはほとんどありませんでした。技術政策にしても、表面上は経産省がプロジェクトをつくり込んでいるように見せかけていましたが、大半のプロジェクトは、業界団体が経産省に持ち込んできたものをあたかも経産省が考えたように見せて、予算だけつけていたというのが実態でした。

竹内 そうだったんですか。今は、特に半導体の分野では、業界団体の陳情は受け入れてくれそうにない雰囲気ですよね。

宇佐美 リーマンショックを契機に変わりました。それまでは、毎週どこかしらの電機企業が新しいプロジェクトの提案にやって来る、陳情漬けの毎日でしたよ。最近では、陳情をあまり受け付けないということもありますが、それ以上に陳情そのものが少なくなってきているようです。それだけ電機業界の体力が落ちて、先が見えなくなってきているのでしょう。既存の業界コミュニティの取り組みだけでは行き詰まってしまうことを、民間企業・大学側も感じているようです。

 私が、電機分野の国家研究開発プロジェクトのマネジメントを担当することになったのは、リーマンショックの直前です。そのため、電機業界の構造が大きく変わっていく様子を目の当たりにすることができました。振り返ってみると、先進国向け富裕層の家電市場が一気に縮小したことや、スマホを核にしたモバイルシステム向けの汎用プラットフォームが誕生したことで、お家芸だった単品つくり込みによる高付加価値家電製品のセグメントが一気に縮小して、日本の電機企業が総倒れしている状況でした。ガラパゴスの日本技術ではなくて、世界標準のプラットフォーム上で勝負せざるを得ない環境に追いこまれたんです。

竹内 宇佐美さんは陳情をばっさり切ったんですね。

宇佐美 本当はそんなことしたくなかったんですけど、時期的に仕方ありませんでした。文系出身の私が、技術政策のど真ん中のマネジメントを担当するというのは、経済産業省の技術政策の長い歴史の中でも極めて異例でした。最初は戸惑って人事にも相談したんですが、「電機業界の技術政策は行き詰まっている。お前の信じるとおり思いっきりやってみろ」と言われたので、その通り突っ込んでみることにしたんです。素直ですよね(笑)。

 私には技術の細かいことがわからないため、新規性よりも、その技術が社会に与える価値を自然と重視していました。その感覚は、それまでの技術政策の担当者や、業界の重鎮と呼ばれる方々と大きく異なっていた点だと思います。当時の技術政策は、あまりにも技術的な高度性を追い求めすぎていて、産業の実態から乖離していました。これは、技術の詳細がわからないからこそ見えたことです。だから、これまでの業界団体との関係を清算して、自分の自然な感覚を共有できるパートナーを探そうと決意しました。

 経産省も組織としてその決断をサポートしてくれました。茨の道で胃を痛めるような毎日でしたけど、最終的に竹内先生と出会えたことは幸運だったと思います。おかげで一緒に色々な面白いプロジェクトをつくることができましたし、とても楽しい官僚生活を送ることができました。

竹内 結局こういう変化の時代では、官側で新しいプロジェクトの旗を振る人と、民間側でそれをやりたい人がうまく噛み合ないと成功しないんですよね。業界の中で、たった一人で新しいチャレンジをしようとしても埋もれてしまうし、官僚機構だけで何かやろうとしても、プロジェクトの受け手となるプレーヤーがついて来ないと掛け声だけで終わってしまう。組織を超えた価値観を共有する人のつながりがなければ、本当に新しいプロジェクトはできないんですよ。