妄想力をテコに「斜め上の世界」を思い描き、未来のプロトタイプ(試作品)として活用していく――。一部の先進企業でイノベーションを起こす原動力となってきた「SFプロトタイピング」が、今、日本でも注目されつつある。この背景にあるのが、SFはこれまでも現実のビジネスに大きな影響を与えてきた、という厳然たる事実だ。本シリーズでは、『SF思考 ビジネスと自分の人生を考えるスキル』の編著者・宮本道人氏が、その実例として世界を大きく変えてきたSF作家とその作品を紹介していく。(構成/フリーライター 小林直美、ダイヤモンド社 音なぎ省一郎)

『スノウ・クラッシュ』の衝撃

 ニール・スティーヴンスン――。日本での知名度はそれほど高くないが、彼ほどこのブックリストの初回を飾るにふさわしい人物はいないだろう。米国のテックカルチャーに信じられないほど大きな影響を及ぼし、アマゾンのファウンダー、ジェフ・ベゾスの盟友としても知られるSF作家である。

 まず、この表を見てほしい。『SF思考』第1章に「SFを重視している著名人」として掲載した表で、SF作品が彼らにもたらした影響を筆者がまとめたものだ。

ビッグテックの真の創造主!? ――ニール・スティーヴンスンSFを重視している著名人
拡大画像表示

 世界にとどろくビッグネームがずらりと並ぶこの表で、異様な輝きを放っている作品が『スノウ・クラッシュ』だ。グーグルを刺激し、オキュラスにイマジネーションを提供し、リンクトインの発想を育んだ――。この作者がニール・スティーヴンスンその人である。表には著者名を入れていないが、Kindleに影響を与えたインタラクティブな物語端末が登場する『ダイヤモンド・エイジ』も、宇宙開発関連の最新知識をちりばめた『七人のイヴ』もスティーヴンスンの著作だ。

『スノウ・クラッシュ』は今から約30年前、1992年に刊行されたSF小説だ。舞台は近未来の米国。ただし、合衆国は既に崩壊して小さな都市国家群に分裂しており、その一つ一つは資本家たちにフランチャイズ経営されている。同時に、この世界では仮想空間が現実と遜色ないレベルに発達しており、人々はゴーグルとイヤホンを装着すれば、そのバーチャルワールドにすぐ没入できる。そして、アバターを自由自在に操ってさまざまな活動ができるのだ。

 こう紹介すると、2021年の今となっては「なんか見たことある」と感じる人が多いだろう。しかし、その既視感を形作ったあの映画も、このゲームも、元をたどれば、スティーヴンスンが同作で提示した世界観がルーツである可能性が高い。92年といえばインターネットの商用サービスが始まったばかりで、ウェブブラウザーの元祖といわれるMOSAICすらまだ登場していない。そんな中、1人のSF作家が示した「インターネットが爆発的に発展すれば、こんな未来もあり得る!」という鮮やかなビジョンがシリコンバレーの起業家たちにぶっ刺さったのだ。

 ちなみに、筆者が本書を読んだのは2010年ころ。「超高速ピザ配達人が特権階級になっている」といった奇想天外な設定に爆笑しつつ、疾走感のある物語に魅了され、あっという間に読み切った。そして読後にじわじわと、作中で予言された技術がどんどん実現に向かっていることのすごさに気付き、身震いしたことを覚えている。