1200年続く京都の伝統工芸・西陣織の織物(テキスタイル)が、ディオールやシャネル、エルメス、カルティエなど、世界の一流ブランドの店舗で、その内装に使われているのをご存じだろうか。衰退する西陣織マーケットに危機感を抱き、いち早く海外マーケットの開拓に成功した先駆者。それが西陣織の老舗「細尾」12代目経営者の細尾真孝氏だ。その海外マーケット開拓の経緯は、ハーバードのケーススタディーとしても取り上げられるなど、いま世界から注目を集めている元ミュージシャンという異色の経営者。そんな細尾氏の初の著書『日本の美意識で世界初に挑む』がダイヤモンド社から発売された。閉塞する今の時代に、経営者やビジネスパーソンは何を拠り所にして、どう行動すればいいのか? 同書の中にはこれからの時代を切り拓くヒントが散りばめられている。同書発刊を記念してそのエッセンスをお届けする本連載。好評のバックナンバーはこちらからどうぞ。
「紋付袴」には仕掛人がいた
日本の歴史には、「逆転の発想」が服装のコードを変えてしまった興味深い実例があります。
「紋付袴(もんつきはかま)」は、現在の日本の社会で男性の第一礼装とされています。
実はそれには「仕掛人」がいたのです。安土桃山時代から江戸時代を生きた、公家の山科言緒(やましなときお)だと言われています。
当時、大坂夏の陣で江戸幕府軍(徳川)と豊臣とが激突し、江戸幕府軍が勝利しました。
それまでの豊臣家の時代は、権力者は金など華やかな衣装を着ていました。それが権力者の服装のコードだったわけです。
しかし家康が政権を取り、山科言緒を呼びました。
山科家は当時の衣装のスペシャリストでした。今風に言えばスタイリストです。
家康は山科言緒をスタイリストとして呼んで、「これからの時代に自分はどういう服を着るべきか」を尋ねました。そのとき言緒は、「黒」というキーワードを出したのです。
それはそれまでの秀吉の時代の、権力者がゴールドのきらびやかな衣装を着るという文化に対するアンチテーゼでした。
権力者がこれから「黒」を着ることで、「家康の時代に変わった」ということを、世に知らしめる意味がありました。