日本電産・永守会長が20年前に吐露した「死への恐怖、ポスト永守、『自分より上』の経営者…」絶好調企業の代表格だった日本電産が、試練の時を迎えている(日本電産・永守会長) Photo:JIJI

『週刊ダイヤモンド』10月22日号の第1特集は「世界を動かす大経済都市 大阪 京都 神戸」です。関西の中核都市である「三都」は、切磋琢磨しながらそれぞれが独自の経済発展を遂げてきました。日本電産、京セラ、サントリー、パナソニック――。実際に、京阪神に本拠を置く企業は、世界で独自のプレゼンスを持つ独創的な企業ばかりです。特集では日本経済“復活”の鍵を握る関西企業の秘密に迫りました。本稿では、京都が生んだ世界的企業、日本電産のスペシャルコンテンツをお届けします。(ダイヤモンド編集部 浅島亮子)

日本電産・永守会長に大試練の時
「将来設計」が狂ったのはいつなのか?

 絶好調企業の代表格だった日本電産が、試練の時を迎えている。

 永守重信会長兼最高経営責任者(CEO。78歳)が関潤社長(当時)を解任し、後継者問題が振り出しに戻った。4度目の選出失敗である。

 それに加えて、自社株買いを巡る疑惑が報じられた影響もあり、10月11日に株価は急落。もともと低調だった株価下落に歯止めがかかっていない。

 いみじくも、来年2023年は創業50周年を迎える年だ。その大きな節目に、日本電産は創業以来、最大の経営危機に直面していると言えるだろう。永守氏が掲げてきた野心的な計画、「30年度に売上高10兆円」の実現に暗雲が垂れ込めている。

 一代で世界的な総合モーターメーカーを築き上げた希代のカリスマ経営者、永守氏はどのような経営哲学をよりどころにして、高みを目指してきたのか。その軌跡をたどるために、約20年前にダイヤモンド編集部が実施したインタビューから永守語録を拾ってみたい。

 当時、永守氏は57歳。脂が乗った経営者の発言は、エネルギーに満ち溢れている。永守氏が目指した「将来像」と「現在地」との乖離はどこで生まれてしまったのだろうか。