鈴木健一さん(仮名)は、昭和も終わりに近づいたころ、20歳で陸上自衛隊に入隊した。以降30年間以上普通科隊員として真面目に勤め上げ、平成の終わりに幹部である1尉で定年退官を迎えた。自身を「気が弱い人間です」と評するが、陸自隊員の中でも屈強な男たちが集まるレンジャー過程を修了し、PKO(国連平和維持活動)やイラクへの派遣経験を持つ彼を知る者は、「自衛官の鑑(かがみ)のような人」だと判を押す。
第二の人生として希望していたのは、輸送関係の仕事だった。自動車運転免許やフォークリフト操縦免許など、必要だと思われる複数の資格も取得した。しかし、自衛隊から提示されたのは地方銀行の営業職一職種のみ。「地方にはそもそも職が少なく、ちょうど前任者が離任するタイミングだったので、その求人しか紹介してくれなかった。決して恨んでいるわけではないが、もどかしく、残念な気持ちにもなった」と振り返る。
ただし、地方において地元銀行への再就職は「上出来の部類」と認識されている。家族の反応も上々。鈴木さんは受け入れることを決めた。いくつもの資格は、役には立たなかった。再就職に関しては鈴木さんに限らず、再就職先が第一希望と異なるものであっても、「自衛官としての最後の補職(公務員に対し職務を命じること)として受け入れる」「命のままに」と話す人たちは非常に多い。
再就職後は、古巣である陸自の駐屯地に出向いては隊員のローンや資産運用の相談に乗る日々を送った。「それまで名刺を交換したことすらなかったので、ようやく“社会人一年生”になれた気がした」と振り返る。
2級ファイナンシャル・プランニング技能士の資格も取得し、「向き、不向きより前向きに」と持ち前の真面目さでやりがいを探した。会社の人間関係も良い。「お金のことで悩んでいる隊員のニーズに応え、笑顔と感謝の言葉をもらえたときにはやりがいを感じる」とまで思うになった。
しかし、どうしても納得できないのが給与面だ。月収は手取りで15万~16万円。「まだ住宅ローンや教育資金も必要。50代の男がこれだけの給料では、とても十分とは言えない」と肩を落とす。「高級幹部とは別世界だ」と話す鈴木さんは、「援護に頼らず、自己開拓すべきだったのか」と自答する。