そもそも出世するというのは
どういうこと?

 その本の名前は『オフィスプレーヤーへの道』。当時電通のプロデューサーをされていた藤岡和賀夫さんという方が書いた本である。

 オフィス・プレーヤーとは何かというと、ひと言で言えば“仕事を楽しんでいる人”という意味で、仕事を義務としてやっている“オフィス・ワーカー”とは逆の概念だ。言い換えると仕事自体を娯楽化することの効用について書かれた本だったと言える。

 例えば、プロのゴルフやテニスの選手はゴルフプレーヤーとかテニスプレーヤーという言い方をする。だがプレーヤーだからと言って彼らは別に遊んでいるわけではない。ゴルフやテニスを職業として、プロとしての仕事をしているのだ。ところがその大前提にあるのは、彼らがそれを好きだからやっているということだ。だからゴルフプレーヤーではあっても、決してゴルフワーカーではないということになる。だから誰もが「好き」を仕事にすべきである、というのがおおよその趣旨であった。

 その考え方には私も大いに興味を持ち、そういう働き方をすべしというのが今でも私の仕事信条となっているが、その本題とは別にとても興味を持った話題があった。

 それは「サラリーマンにとって出世するとは一体どういうことか?」という問いかけだ。藤岡氏はその答えをとても明確に示していた。それは「社長になることだ」というのだ。社長になれないのであれば、副社長で終わろうが、平社員で会社生活を終わろうがたいして差はない、と彼は主張する。

 たしかによく考えてみるとサラリーマンの職位の中で恐らく最も大きな差があるのは社長と副社長だろう。これは天と地ほど違うと言っても良いと思う。事実、歴代社長の名前は社史にも残るし、後の時代になっても人々の記憶にあるだろうが、上場企業であったとしてもその会社と相当関係の深い人でない限り、副社長の名前なんか誰も覚えていないだろう。

 だとすれば出世とは社長になることで、社長になれないのなら、それはあまり意味のないことだというのはその通りかもしれない、よく考えてみると当たり前のこの事実が私にとってはちょっとした驚きだった。

 なにしろ当時の私は30代後半、まだまだ出世する気は満々だった。もちろん社長になぞなれるわけがないと思っていたのは当然だが、うまくいけば役員、あるいは部長ぐらいにはなれるのではないかという希望は持っていた。そんな時に聞いたこの言葉は非常に衝撃的だったのだ。