サラリーマン時代
私も「負け犬」だった
たしかに、社長になれる可能性があるなら、人生の全てを賭けてみる値打ちはあるかもしれない。でも、社長になれるかどうかは実力が全てというわけではない。運もかなり左右する。
だとすれば最終的に“社長になること”に自分の人生の全てを賭けるのはその人の自由だが、それはかなり率の悪いギャンブルではないだろうか。ましてや役員になるのが目標とか部長になるのが目標というのであれば、それは少し寂しいような気がする。実際に私がそれを目標にしていたから今となっては余計にそういう思いが強い。
もちろん出世をあきらめなさいということではない。会社に入ってから40代ぐらいまではおおいに出世を狙って頑張るべきだろう。仮に社長になれなかったとしても自身が精いっぱい頑張って役員や部長の地位を得ることができれば、それはそれで素晴らしいことだ。でも現実にはそうなれない人の方が圧倒的に多いだろう。
出世しなければ負け犬だというのであれば、多くの人はそうだし、私は「サラリーマンは負け犬で一向にかまわない」と思っている。
私もサラリーマン時代は部長にもなれなかったし、妻も同じ会社にいて44歳で会社を辞めたが課長にすらなっていない。負け犬かどうかということで言えば、我々夫婦はどちらかと言えばその他大勢の負け犬だったことは間違いない。それでも今は、二人とも会社を辞めてそれぞれ得意の分野で楽しく仕事をしている。