日本経済にとっては
憧れの新自由主義?

 さて、岸田内閣が掲げる「新しい資本主義」の検討は、今のところ「資産所得倍増計画」に関連してNISA(少額投資非課税制度)の改革という具体的な成果があった。ただ、経済の枠組みを論じるような大きな議論には全く進展がない。

 実は、この検討の土台を論述した「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画(案)~人・技術・スタートアップへの投資の実現~」(2022年6月7日)という文書があるのだが、前述のような筆者の実感を前提にこの文書を読むと、冒頭から脱力感を覚える。

 本文の1段落目を引用しよう。

「1980年代から2000年代にかけて、市場や競争に任せればうまくいくという『新自由主義』と呼ばれる考え方が台頭し、グローバル化が進展することで経済は活力を取り戻し、世界経済が大きく成長した。新自由主義は、成長の原動力の役割を果たしたと言える」とある。

 素直に読もう。新自由主義は経済に「活力」を与え、「成長の原動力の役割」を果たす。そうなら、日本経済の活力の乏しさと、成長しなかったという事実の原因は、新自由主義の欠如に求められるのではないか。

 例えば、日本では賃金が上昇しないことが問題視される。ついにはいわゆる「春闘」の際に政府が企業に賃上げを要請するようなことが起きた(労働組合の中央組織である「連合」よりも「政府」の方がよほど賃上げの役に立っている)。

 賃金が上昇しにくい大きな原因は、企業の立場が労働者に対して強いことにある。

 正社員が企業単位で囲い込まれている日本のシステムでは、労働力の「買い手」の側で競争が発生しにくい。加えて、この状態で企業にとっては余剰と思われる労働者まで解雇できない形で保護させている。結果として、本来は価格競争力があっていいはずの労働者の賃金が上がりにくい。

「外資系的なシステムにすると、有能な社員の報酬はもっと上がるのに」「労働市場全体に流動性が乏しいから、普通の正社員は怖くて会社にしがみつくしかない」「雇用の流動化は、有能な社員にとってプラスに働き、企業や、ひいては経済の成長につながるはずだ」等々を感じるのだが、雇用面での新自由主義は実現しそうにない。