ちなみに、新しい資本主義実現会議の委員である連合の芳野友子会長の提出資料には「労働移動の促進という観点から、解雇規制など労働法制の緩和につながるような議論がなされることがあってはならない」(第12回会合提出資料より)と書かれている。雇用の流動化は、議論することさえいけないらしい。筆者からは、「日本経済の敵」がここにいるように見える。
連合は、明らかにブラック資本主義の下で働く非正規労働者のための組織ではない。経済力的には一階層上の、主に正社員サラリーマンの労働条件を守り、改善することを目的としている。
雇用が流動化した場合、前述のように有能な社員の競争力が改善して報酬が上がる。つまり、連合が守っているのは、企業が解雇ないし賃下げしたいと思っているような正社員だという理屈になる。いわゆる「働かないオジサン」と揶揄されているような人たちのための利益を代表していることになる。明らかに、労働者全体の利益を代表しているわけではない。これでいいのだろうか?
自分が生まれ変わった先が
能力主義が進んだ世界だったら怖い
これまで筆者は「恵まれた正社員」のグループで、転職や勤め先の倒産などはあったけれども、概ね雇用と収入は確保されて資本主義的な競争にもまれなかった。そうした事情もあり、筆者は「日本の経済を活性化するためには、もっと新自由主義的な規制緩和を実現しなければならない」と実感する。いわゆる「改革」という言葉をポジティブに感じる層の人々と同じ感覚だ。
例えば、電波は放送も通信もオークションで取引するのがフェアで効率的だし、農業にも株式会社が活用されていいと思う。そして何よりも金銭補償ルールの整備を伴う正社員の解雇自由化は、人材資源の効率的配置のために不可欠だと考える。経済を活性化する、すなわち生産と消費を拡大するためには正しい処方箋だろう。
ただし、こうした規制緩和やルールの整備は、能力に応じて報酬を得ることがフェアだと考える「能力主義」に大きく傾斜している。
自分の過去を振り返ると、ブラック資本主義を回避して安全圏で暮らすことができる日本的縁故主義のメンバーの末席くらいに属することができたのは、幸運だった。これは主に、筆者の親に子どもを教育するに十分な経済力があったことのおかげだ。筆者の「親ガチャ」は、大当たりでもなかったが、おみくじで言うと「小吉」くらいのものではあったように思う。