開業初日から大混乱で
「怒号の出発進行」

 その不満は開業初日から爆発した。交通協力会の業界誌『国鉄線』1971年6月号によれば、運賃制度の発表と常磐線・千代田線の連絡定期の書き換えが遅れたことで、乗り入れ初日からラッシュ時間帯の駅は大混乱。さらに列車無線の故障でダイヤも乱れ、当日夕刊各紙は「怒号の出発進行」「迷惑乗入れじゃないか」と書きたてた。

 4月25日付朝日新聞は混乱の原因を、複々線化が沿線通勤者の利害を分け、利益を受ける多数の遠距離客と不利益を被る少数の近距離客の対立と定義。多数の利便のためには、ある程度の少数の犠牲はやむを得ないとしながらも、常磐線の場合は少数者といっても5万人もの利用者であり、彼らも「せめて今までの状況より悪くならない範囲で全体計画をたてるのが当然」と指摘した。

 混乱を受けて国鉄と営団は対策会議を立ち上げたが、快速と各駅停車の完全分離をもとにした現在のダイヤや停車駅は変えられない、運賃は法律に基づくもので例外は作れないと結論。松戸から上り快速電車を増発するという全く的外れの対応しか取らなかった。

 国鉄はこうした問題を事前に認識していたはずだ。実は同年4月の業界誌『交通技術』には、常磐線の増線計画に参加した(つまり国鉄関係者の)「先輩」に話を聞く形の匿名解説記事が掲載されている。

「営業上の問題点」と題した項目では、聞き手が「例えば亀有から東京までのキップは確かに途中綾瀬―北千住という営団路線がかみあっていても国鉄1本とみなされて、通算制で買えるわけですね。そのキップは亀有から緩行(各駅停車)に乗って西日暮里乗換で東京まで乗って良いのでしょうね。まさか、北千住で快速に乗り換え、さらに日暮里または上野で乗り換えなさいとはいわないでしょうね」と尋ねる。

 しかし「先輩」は「そうはならないんだヨ。国鉄線のみの経由きっぷだったら、おっしゃるような乗り換えが必要だ。西日暮里で乗り換えようとすれば、そのいう、つまり間に営団線を挿んだ併算キップを買わなければダメだヨ」と言葉を濁す。決まりは決まりというが、当時から後ろめたさはあったはずなのだ。

 営団側も1981年発行の『地下鉄運輸50年史』に次のような「釈明」を記している。

「北千住駅では乗換が不便であること、また乗換えても国鉄線の列車本数が少ない等の理由で乗換えの便利な西日暮里駅での乗り換え客が激増した。西日暮里で国鉄線と連絡するとなると、北千住~西日暮里間は営団運賃であるため、運賃は国鉄・営団・国鉄と併算となることから、西日暮里駅精算所では運賃負担増に伴う旅客の苦情と共に取扱件数も膨大なものとなり大変な混雑を呈した」

「常磐線の運行形態の変更により発生したこの問題は、日毎にエスカレートし、特に亀有、金町地区の利用者からの苦情が相次いだ。しかし、これについては、国鉄と営団の運賃制度が違うこと、また、この区間に、これ以上の運賃調整を実施した場合、当然他の区間に波及することになり、運賃制度そのものが成り立たなくなること等、苦情旅客に対しては説得に努めた」

 不幸だったのは当初、千代田線は日暮里を経由する構想だったが、日暮里駅付近の用地買収や工事が困難であるため、500メートル離れた位置に新駅・西日暮里駅を設置することにした。もし日暮里を経由していたら運賃の整合上、日暮里駅まで常磐線扱いとしたかもしれない。