そうすると選手は自分なりの答えを返してくる。準備不足だったことがわかっていれば、そこがダメだと正直に反省の弁を述べ、改善を誓う者もいる。

 逆にごまかしたり、本当に走れない理由がわかっていなかったりする選手には「朝練習のときから午後の練習をイメージして走っていなかったんじゃないか?」と、こちらの考えを示すようにした。そしてもう一度、自分なりに考えてみろと預けてみる。ここですべての答えを示すことはない。

 その結果、改善した選手は進歩を見せる。叱られて変えたのではなく、アドバイスこそ受けたものの、自分なりに行動を変えて、うまくいったという自信を手にすることができる。

 一方、何度も同じ失敗を繰り返す者もなかにはいる。仏の顔も三度までで、その場合は容赦しない。

「俺は何回も言っているよな? なんで同じことを繰り返すんだ? やり方がわからないならば、なんで聞きにこないんだ?」

 そう言って突き放す。そこからはアドバイスはしない。

 選手もまずいと思うのだろう。ここでようやく危機感を持って、行動を変えてくる。今のところ、この方法でうまくいくケースが多い。大きな声で怒鳴る機会は本当に少なくなった。

試合での声がけも叱咤激励ではなく前向きな言葉へ

 私の指導のイメージは、箱根駅伝の運営管理車から選手に檄を飛ばすときのフレーズ、「男だろ!」が強いのではないかと思う。

 たしかに試合で思わず出てきてしまう言葉ではあるのだが、実はこのイメージが先行することについて、私はあまり喜ばしく思っていない。練習でこの言葉を投げかけることはほとんどないし、そもそも私自身、「男らしさ」というものを深く意識したことはない。

 これは就任当初から変わっていないが、私は長所を伸ばすことを目指すタイプの指導者だ。選手の良いところを見つけ、それが武器となるように育てているつもりだ。その長所が伸び、本人も成長の実感を得て、「さらに上を目指したい」という意識が芽生えたときに、少しだけ短所の改善に取り組むように仕向ける。そうすると選手自身の意識が前向きになっているため、自然と短所の改善に取り組むようになるのだ。

 私自身、指導を変えていこうと考えたとき、改めて長所を伸ばす面により目を向け、それに合った声をかけるようにしようと決めた。

 それに合わせて、「男だろ!」のイメージを払しょくしなければならないと考えた。「男だろ!」が奮起を促す叱咤激励の言葉だとしたら、もっと前向きに自信をつけさせる声がけをしようと考えたのである。どんな言葉をかけたらいいかを考えたとき、

「おまえならもっとできるぞ、やれるぞ」

 という、選手たちの可能性や未来を肯定する言葉だった。

得意部分を伸すことが、苦手部分の改善につながる

 過去に、短い距離を得意とするスピード型の選手として入部してきた者がいた。入部当初は10㎞以上のレースで結果を残せるだけのスタミナを備えていなかったが、本人は箱根駅伝のメンバーになりたいという思いを持っていた。ただ、スタミナをつけるための練習は得意ではなく、あまり前向きには取り組んでいなかったように見受けられた。

「まずは武器であるスピードを伸ばすことに意識を向けるぞ」

 私はそう言い続けた。その選手は言葉の通りに練習を積み重ね、得意のトラック種目でタイムが伸びていったため、自信も欲も生まれたのだろう。個人練習で走るジョギングでも少しずつ時間を伸ばすなど、進んで練習量を増やしスタミナ強化に積極的に取り組むようになった。

「走りが良くなったな。走り込んだ成果だな」、そう声をかけると、嬉しそうにその後の練習もますます意欲的に臨むようになった。そして、のちに箱根駅伝に出場しただけでなく、好結果を残すまでになった。

 この選手は比較的早く成果が出たのだが、スタミナを育むのにはもっと時間がかかるのが常だ。私も焦るつもりはない。選手が自信をつけ、苦手な部分の改善に目を向けるようになるまで「武器を伸ばせばいい。その先に道は開ける。きっと大丈夫だ」と言い続けるつもりだ。

 とはいえ、今でも箱根駅伝の前になるとメンバーの選手たちから、「監督、自分のペースが落ちたら“男だろ”って檄を飛ばしてください」といったリクエストがある。その言葉で力が湧くのであれば、仕方がない。私はそれを希望する選手にだけ、「男だろ!」を言うようにしている。テレビ中継を見ていただいている方はわかると思うが、これを言うとたいていの選手は「わかりました!」とばかりに手を上げて応える。

 もう定番の掛け合いとなっている感じで、この言葉自体にあまり意味はないような気がする。相手を選んで声をかけているということと、選手との信頼関係のうえに成り立っているものだということをここに記しておきたい。