観賞して気づいた筆者の立場
ただの“マリオ好きおじさん”を自覚する
『新作マリオ映画』の勢いは止まらない。興行収入は全米で3週連続1位、全世界累計で1000億円を突破したとのことである。
アメリカではファンが「こういうマリオ映画が見たかった!」と快哉を叫ぶ一方、批評家は「マリオファンを喜ばせるためだけにファン受け要素を詰め込んだような、内容のない映画」と厳しい評を投げかけている。
同作品は英語ベースだが、日本語吹き替え版に強いこだわりが施されていて、最初から脚本が英語版と日本語版の2本同時で作られていたらしい。これによって、日本語の会話がごく自然とのことである。
そこで、せっかくなので、日本語吹き替え版を見ることにした。
平日午前中にもかかわらず、席はそこそこ埋まっていた。日本での公開も好調なスタートとなりそうである。
まず観賞後に自覚した筆者の立場を共有しておきたいが、筆者は完全にファンとして映画を見終えた。ライターという立場上、批評のまね事めいた記事をアップすることもあるが、『新作マリオ映画』に関しては批評の立場を取り難いと判断した。ずっと涙ぐみながら見ていたのだが、それが花粉ではなく感動による涙だということに、開始30分ほどで気づいた。
まず、批評として聞いていた「ファンを喜ばせる要素が詰め込まれている」は、事実であったが、本編の邪魔はしていなかった。「知っている人だけをちょっと楽しい気分にさせる」原作(ゲーム)要素てんこ盛りだが、それがマリオ知らずの観客を置いてけぼりにはしなさそうである。