日本最大にして最強財閥、三菱グループに知る人ぞ知る伝統のテニス大会がある。そこは「鉄の結束」を確かめ、DNAを継承する場でもある。特集『ビジネスに効く! 最強のゴルフ 王者のテニス』(全18回)の最終回では、三菱重工業、三菱UFJ銀行、三菱商事の“御三家”の重鎮がトップを務める伝統試合の全容を明らかにする。(ダイヤモンド編集部 堀内 亮)
HI杯の起源は岩崎彦彌太
「金曜会」のメンバーが参加
三菱とテニス、そして伝統のテニス大会「HI盃」の歴史は古い。今から100年以上も前にさかのぼる1911年、現在の三菱庭球同好会の前身である三菱庭球部が誕生した。東京・丸の内コート(現・丸の内パークビル)が新設されたことがきっかけだ。
そして、三菱とテニスを語る上で欠かせない人物が、三菱創業者の岩崎彌太郎の孫である岩崎彦彌太だ。東京帝国大学庭球部で活躍していた彦彌太は22年9月、日本最古のテニストーナメント「毎日テニストーナメント」のダブルスで優勝を果たし、全国のテニス界にその名を轟かせた。
その彦彌太が翌月、外遊先の英ロンドンで銀製カップを購入して三菱庭球同好会に寄贈した。岩崎彦彌太のイニシャルを冠して「H・I・ロンドンカップ」と名付けられ、翌23年に「H・I・ロンドンカップ戦」男子シングルスが始まった。これが現在まで続くHI盃の起源である。
HI盃には三菱グループの親睦団体「金曜会」に加盟する企業27社が参加する(下表参照)。
各社の精鋭が東日本と西日本の両地区で予選を戦い、毎年10月に決勝トーナメントで雌雄を決する。HI盃は三菱テニスの頂点であり、三菱のシンボルとして毎年熱戦が繰り広げられてきた。
そのレベルの高さは、日本屈指だ。優勝者に名を連ねるのは、俳優・石黒賢の父で男子テニスの国別対抗戦「デビスカップ」の日本代表を務めた石黒修(三菱電機所属)をはじめ、各世代の名選手たちだ。ただし、HI盃は、三菱グループの各社がプライドを懸けた真剣勝負を繰り広げるためだけの場ではない。三菱グループの結束を強める、格好の舞台だったのだ。
ただし、HI杯の歴史には苦難もあった。次ページでは、いったんはその存在が揺らいだHI杯を三菱グループの「鉄の結束」に欠かせない場にしていったグループの重鎮たちの奔走について明らかにしていく。