腕時計のECの実状を、時計業界関係者はこう語る。
「コロナ禍で、腕時計でも世界的にECが普及した。しかし、腕時計は価格が30万円を超えると、実物を見てからでないと買えない客が一気に増える。『30万円の壁』を突破できずにECは伸び悩み、対面重視に回帰しつつある」
ECが浸透していれば、対面販売が復調したときにコロナ前を大きく上回る売り上げが期待できるが、実態はそうなっていない。高級時計になればなるほど、腕時計を手に取ったときの感触や重さ、着け心地など、オンラインの情報だけでは分からない要素が買い手にとって重要になってくるのだ。
数値目標を出せない御三家
EC強化が成長の鍵に
こういった腕時計ならではの事情もあり、日系大手各社はEC普及に本腰を入れてはいない。
セイコーでは、22~26年度の中期経営計画の中で、高級品や中級品について「ECの強化、拡大」をうたっているものの、EC比率の目標値など具体的な数値は記載されていない。
カシオも、23~25年度の中期経営計画の中で直営EC比率の拡大を掲げているが、こちらもEC比率の目標値を記載していない(カシオの中期経営計画については、本特集の#6『G-SHOCK一本足のカシオに広がる焦燥、事業撤退ラッシュで「第2の稼ぎ頭」は育つのか』参照)。その上、「EC比率が対面販売の比率を上回ることはない」(カシオ時計事業関係者)として、対面重視のスタンスは変わっていないため、比率上昇にも限界がある。
シチズンも同様だ。24年度に向けた中期経営計画のプレミアムブランド及び機械式時計戦略の中で、海外市場の販売強化策の一つに直販ECを挙げているが、競合2社と同様で数値目標は設けられていない。シチズン関係者によると、「ウオッチのEC比率の目標は特に持っておらず、対面販売を重視していく姿勢は今後も変わらない」という。
各社の決算資料でも、大まかなEC比率を開示している企業はあっても、地域別に1%単位で詳細な数値を示しているところはない。EC強化を掲げながらも、現状の数値も目標値もはっきりせず、踏み込んだ施策を示すには至っていないのだ。
御三家がそろってEC強化の具体策を提示できないのは、いったいなぜだろうか。その一因は、既存の対面販売を中心としたビジネスモデルにある。「社内で設定したEC比率の目標を公表してしまうと、長年にわたって築いてきた流通との関係に支障が生じてしまう」(カシオ社員)のだ。
特に日本では、EC比率の低さが際立っている。22年度の決算説明資料で比較してみよう。セイコーは、日本での完成品ウオッチEC比率の推定値が20%未満、カシオは、22年度第4四半期で日本のEC販売比率が約30%だという。シチズンは決算資料に記載はないが、前出の関係者によれば「日本のEC比率は2割弱にとどまる」という。
一方、中国のEC比率は高い。各社の決算説明資料によれば、セイコーは22年度で7割前後、カシオも22年度第4四半期で約50%に上る。シチズンも「中国は約6割がEC」(前出のシチズン関係者)という。各社が公表している範囲では、欧州や米国のEC比率は30~40%程度であり、おおむね日本と中国の間に位置する。各社でばらつきがあるが、日本のEC比率が他地域の比率と同等かそれ以下である状況は同様だ。
国や地域によって顧客層や文化などに違いがある上、「ゼロコロナ政策が敷かれていた中国では、ECが加速度的に普及した」(前出のシチズン関係者)といった個別事情もあるため、国内EC比率を海外並みに引き上げるのは容易ではない。
しかし、時計大手3社はいずれも、ターゲット層の違いこそあれ、30万円以下の製品を幅広く取りそろえている。「30万円の壁」に臆することなく、日本はもちろん欧米でもEC拡大を進められるはずなのだ。
コロナ禍の終息が見えてきた現在、本特集で見てきたように時計御三家はそろって業績が回復基調にある。従来の対面販売の継続に加えてEC販売が拡大すれば、成長が加速するのは確実だ。御三家各社は、中期経営計画などで掲げるEC強化をどこまで実行に移せるのか。その取り組みが、今後の御三家の明暗を分けることになりそうだ。
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