凋落鮮明な日本のスマホメーカー
FCNTの民事再生法は、わが国スマホ産業の凋落ぶりを象徴する。99年、かつて、NTTドコモ(当時)は、世界で初めて携帯電話によるインターネット接続を可能にする「iモード」を発表した。iモード対応1号機として投入されたのが、富士通の 「ムーバ F501i」だった。そうして富士通の携帯電話事業本部を母体に発足したのが、FCNTだ。
かつて富士通の携帯電話事業部門は、21世紀の世界経済が「データの世紀」に入ることを予見していただろう。2000年代に入ると、世界全体でインターネット利用が急増した。それに伴い、ビッグデータを用いたビジネスモデルの確立も加速した。本来、富士通は、事業環境の変化を収益増加につなげられたはずだ。
しかし、実際はそうならず、いくつもの壁が立ちふさがった。まず、90年代初頭、わが国の資産バブルが崩壊した。株価、地価の下落、不良債権問題の深刻化などを背景に、国内の経済環境は急速に悪化した。雇用維持などのために、事業領域の拡大よりも、既存事業の維持を優先する企業は増えた。
また、わが国の電機メーカーにとって、日米半導体摩擦の負の影響も大きかった。86年、「第1次日米半導体協定」が締結された。その後、わが国の企業は市場開放や、韓国など海外企業への技術供与を迫られた。
一方、世界経済は劇的に変化し、冷戦終結後は「分断からグローバル化」へ突き進んだ。
中国は、「世界の工場」としての地位を確立した。共産党政権による国有企業などへの土地や、安価かつ大量な労働力の供給は大きな影響力を持った。
米国ではIT革命が起きた。アップルやエヌビディアはソフトウエアの設計・開発に集中し、ファブレス体制を強化した。台湾のTSMCや鴻海(ホンハイ)精密工業などは、米国企業が設計・開発したスマホやチップなどの製造を受託した。こうしてグローバル化は加速した。
3G・4G、そして5Gと、通信速度も向上した。デジタル化も加速し、ジャスト・イン・タイムなサプライチェーンも整備された。企業の新商品の開発スピードは加速し、国際分業体制の強化によって米国をはじめとしたグローバル企業の収益性、事業運営の効率性は高まった。