発表当日に起きたこと──秀逸な声明の背景にあったもの

佐宗 なるほど。純粋に理念に基づいた経営判断だったわけですね。その発表直後に起きたことも振り返っていただけますか?

松尾 4月18日に「来週25日から離乳食の無料配布を全店でやります」と発表しました。その日の夜、僕は外で会食をしていたのですが、幹部から電話がかかってきて「Twitterを見てください」と言われたんです。それで検索窓に「スープストック」と入れてみたら、数秒間に何ツイートもされていて、いつまで経っても最新ツイートが追い切れないくらいだったんです。

「無料で提供するというなら、その分のコストは他のお客さんが負担しているということですよね。私には子どもがいないので、私の分はお金を返してほしい」というようなものから、「子どもを持っていることがそんなに偉いのか」といった今回の件とは直接関係のないものまで、驚くほどたくさんの声が上がっていました。

佐宗 スープストックトーキョーが「赤ちゃん連れのお母さん」という特定層だけを優遇して、それ以外のお客さんを切り捨てたかのような受け止め方をしている人たちがいましたよね。

松尾 そうなんです。もちろん、一部の人以外を切り捨てるというような気持ちはまったくありませんでした。スープストックの根底には創業当初から「Soup for all!」という考え方があります。

 人生の最初と最期は流動食ですから、スープは0歳から100歳までの食べ物です。それに、どの国にもスープはありますから、宗教や健康などの事情があっても、具材を工夫しさえすれば誰にでも食べられます。スープの種類は人によって違っていても、1つの食卓を囲みながら体温があがるようなコミュニケーションを取れるようにしたいというのが、「Soup for all!」の考え方なんです。

 正直なところ、批判されるような取り組みだとは思っていなかったので、こんな事態はまったく想定していませんでした。

佐宗 そういうネガティブな反応を受けて、社内にはどんな反応がありましたか? こういうとき、日本企業は「ひとまず取り下げて謝罪しましょう」という事なかれ主義になることも多いと思うのですが。

松尾 取り下げるという選択肢は、ほとんど考えませんでした。「まだ始まってもいない取り組みを撤回するのはおかしい」というスタンスは、かなり最初の段階で決まっていましたね。

 ですが、もちろん社内には不安がる声はありました。なぜなら翌日以降の取材要請がどんどん来ていたからです。しかもこの段階では「社会の分断を招いたことについてどう思いますか?」というような質問を突きつけてくるメディアが大多数でした。また、批判のメールもたくさん届きました。対応してくれたスタッフはとても辛い思いをしたと思います。

 そういう状況のなかで、僕としては沈黙するつもりはまったくなかったのですが、取材は一切お断りしました。これだけSNSが荒れているなかで何を言っても、火に油を注ぐだけだと思ったからです。ただ、なかには脅迫めいた書き込みもありましたから、現場でトラブルや危険があったときのことを見越して、法的措置などについては弁護士に相談していました。そのうえで、社内向けのコミュニティサイトに「僕たちは『Soup for all!』を貫かなくてはいけない。現場で困ることがあったらすぐに知らせてほしい」と書き込みました。

 そうした緊迫状況のなかで「炎上」の翌日を迎えたのですが、開店後も現場はいっさい混乱せず、まったくの通常どおりでした。実際に無料提供を開始した25日になっても、何もトラブルはありません。ネットで言われていたような、客層の変化もありませんでした。

佐宗 「炎上」のときには「ベビーカーを押したママたちが殺到する」「大混乱するに決まっている。そんなお店には行きたくない」みたいなことが言われていたわけですが、蓋を開けてみれば何もなかったと…。SNSのネガティブな面が凝縮されたような出来事ですね。

松尾 まったくそのとおりだと思います。どうやら混乱はなさそうだとわかった段階で、今度は対外的な発表に向けて動きはじめました。「炎上」の直後から僕は自分の考えを文章として書き溜めていたので、それをまずは社内で揉んでもらったのです。

佐宗 そうだったのですね。あの声明は、よくある企業の公式発表とは一線を画したものでした。分量的にも相当ありましたよね。

松尾 あの声明はいろんな人から「長い」と言われましたが、僕が最初に書いた時点では、あの6倍くらいあったんです(笑)。いろんな人からアドバイスをいただきながら、何度も書き直してギュッと圧縮しました。ただ、まったく変わっていない部分もあります。それは最後の署名部分です。

佐宗 たしかに、こういう声明では「代表取締役社長 松尾真継」となっていそうな最後の署名が「スープストックトーキョー一同」になっていましたね。

松尾 署名部分をこの形にすることについては、最初の段階からまったく悩むことなく決めていました。これは「“われわれ全員”の理念」に基づいたメッセージだという思いがあったからです。

 この声明を公式に発表したのが4月26日でした。発表前日のオンライン朝礼の場で、僕が全文を朗読し、「このメッセージは『一同』として出そうと思います」と伝えました。

【スープストックトーキョー社長に聞く】SNSでの「離乳食炎上」を「応援」に変えた理念経営の力
佐宗邦威(さそう・くにたけ)

株式会社BIOTOPE代表/チーフ・ストラテジック・デザイナー/多摩美術大学 特任准教授

東京大学法学部卒業、イリノイ工科大学デザイン研究科(Master of Design Methods)修了。P&Gマーケティング部で「ファブリーズ」「レノア」などのヒット商品を担当後、「ジレット」のブランドマネージャーを務める。その後、ソニーに入社。同クリエイティブセンターにて全社の新規事業創出プログラム立ち上げなどに携わる。ソニー退社後、戦略デザインファーム「BIOTOPE」を創業。山本山、ソニー、パナソニック、オムロン、NHKエデュケーショナル、クックパッド、NTTドコモ、東急電鉄、日本サッカー協会、KINTO、ALE、クロスフィールズ、白馬村など、バラエティ豊かな企業・組織のイノベーションおよびブランディングの支援を行うほか、各社の企業理念の策定および実装に向けたプロジェクトについても実績多数。著書に最新刊『理念経営2.0』のほか、『直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN』(いずれも、ダイヤモンド社)などがある。