「相田みつを的なもの」を受け入れ続ける意味

糸井 この発想のヒントになったのが、免疫学者である故・多田富雄(東京大学名誉教授)さんです。多田さんは「アレルギーとは過剰防衛だ」と言うんですね。たとえば甲殻類アレルギーの人の身体は、エビを食べたときに「身体のなかにエビが来たぞ、エビが来たぞ」と攻撃してしまう。その戦いの痕跡が蕁麻疹などの症状として出てくるというわけです。

 これは自己と非自己の問題、つまり内部と外部の問題ですよね。その多田さんが最期に残した言葉が「寛容」だというんですよ。額に入れておきたいぐらい。人も組織も、デメリットや被害があるかもしれないことまで含めて、寛容であることが大事なんだよなあと思うようになりました。

佐宗 なるほど。ぼくの会社はBIOTOPE(ビオトープ)という名前なんです。いろんな生物がいて、いろんな植物が生えていて、ときに新しい外来種がやってきて、その影響で変化が起こったりする。新しい人を採用したり、いろんなお客さんと仕事をしたりするなかで、生態系のなかに撹乱が起こったりする。それを観察しておいて、必要なときには介入するという感覚で、組織を考えてきました。ぼくも糸井さんと似た感覚で組織を見ているんじゃないかと感じましたね。

糸井 似ていますね。こういう寛容さについて、ぼくがよく考えるのが「相田みつを作品をどう捉えるか問題」。

佐宗 あの相田みつをさんですか? 相田さんといえば、大変売れている書家であり、詩人であり、丸の内に私設の「相田みつを美術館」が設置できるほど人気ですよね。

糸井 そうです。けれど、なぜか相田さんの作品に対しては、書道界からも現代詩業界からもどこか距離がある状態で。お笑いの人なんかも「おまえ、それじゃ相田みつをだよ」なんて、オチにされちゃうくらいです。「相田みつを的なもの」をポピュリズムみたいに考える風潮は、世の中のいろんなところにありますよね。

 そういうものを取り除いて、雑味のない吟醸酒みたいな群れをつくることもできます。頭のいい人だけを集めた上澄みみたいな組織でも人は動けてしまいます。「頭がいい」ということには商品価値がありますし、それは知的ゲームとしてはおもしろいかもしれない。

 でも、ぼくは自分たちのなかに「相田みつを的なもの」も入れるように意識しているんですよ。相田みつをの言葉に対して、「本当にそうだなあ」としみじみ頷くおばあさんの感覚。もいだばかりのリンゴのおいしさみたいな、素朴で洗練されていない感じを大事にしたいと思うんですよね。相田みつをの表現に頷ける人がいなければ、どんなに群れを理屈できれいにつくり上げても、カルトやテロ組織のような危険な状態に陥ると思うんですよ。

佐宗 糸井さんのお話を聞いていると、会社の「内」は、もっとゆるやかに開かれていていいんだなと感じますね。

【糸井重里さん「理念経営」を語る】「遅刻しない人が『遅刻した人』を責めない会社をつくりたい」

(第3回に続く)