中国人がひまわりの種を食べる理由

 中国で改革開放政策が始まったのは、さかのぼること45年前の1978年のことだ。

 それ以前の計画経済時代は、株主総会、取締役会、監査役会などのガバナンス機関もなく、代表取締役などの呼称もない国営企業(当時は国家が直接管理・運営していたので国営、その後の改革で国有企業となる)の時代だった。国が商品単価や販売数量を決定し、仕入れ先や販売先も固定されていた。

 改革開放政策の下で市場経済化と民営化が推進されたわけだが、「体質改善」は容易でなかった。

 1990年代に対中ビジネスに関わった日本人の中には、パートナー企業の国有企業の内情を知る駐在員も少なくなかった。A氏もその一人で「当時の国有企業は、与えられた目標を達成するのが義務であり、目標を達成したらそれ以上のことをやってはなりませんでした」と振り返る。

 1990年代後半の上海でさえも“非効率”が極まりない状況だった。当時、上海でも筆者の友人の多くが国有企業に勤務していたのだが、友人Bは「出勤したらお茶を飲み、新聞を読んで仲間としゃべって一日が終わる。ひまわりの種を食べるのは暇つぶしのためだ」と話していた。また大卒の友人Cはバリバリ働いたために孤立した。「真面目に働けば“ばか者”呼ばわりされ、仕事を押し付けられた」と悔しそうだった。

 飲食店では赤色の制服を着た従業員が客席に誘導し、緑色の制服が注文を取り、黄色の制服が会計をするなど、1人でできる仕事も細分化されていた。13億(当時)の人口を雇用するという使命もあったのだろうが、生産性の低さは国有企業が抱える大きな課題だった。

 ところが、2000年代に入ると、上海など沿海部の都市で民営企業が続々と出現し、中国経済を牽引するようになった。胡錦涛政権(2002~2012年)になると、働けば働くほど生活が豊かになると知った中国人たちは昼夜を問わずに頑張った。持ち前の商魂とハングリー精神が市場化・民営化に結び付き、中国にはかつてない黄金時代が到来した。

 しかし、それも長くはなかった。習近平政権(2012年~)の中国では「国進民退」の現象が進んでいる。中央直轄企業や独占企業の出現に見るように、国有企業は力をつけて強大化したが、その反対に民営企業は衰退の道をたどっているのだ。“民営企業の神”とまであがめられたジャック・マー氏への締め付けと失速は、まさしく「民退」の典型事例である。

国有企業の国際的影響力をさらに強化

 今年6月、北京で開催された「現代新国有企業フォーラム」では、国務院や社会科学院、国有企業の代表者の出席の下、国有企業の国際的影響力の強化について討論が行われた。習近平氏が急ぐ改革では、国有企業の発展こそが中国独自の現代化につながると言われている。「一帯一路」のプロジェクトを総なめにするため、ありとあらゆる資源を投じる算段だ。

 国務院は昨年から「一業界一企業、一企業一業界」という新たなモデルを奨励するようになった。これは国有企業の集団内部での非効率を排除するため、子会社間の重複を避け、個別の企業の専門性をより高めようというもので、「資源の集中」と「産業の大型化・強大化」のための手段の一つに据えられている。

 国有企業の競争力の向上が、民族復興を悲願とする「中国式現代化」を成し遂げるという考え方は、2022年の第20回党大会以降、より色濃く打ち出されるようになった。