いざ練習へ!
練習を難しくするハードルは何か

 ちなみに、世界には指笛や口笛で意思疎通を図る指笛言語・口笛言語と呼ばれるものがあり、これを操る人たちはそれなりに離れた距離でかなりの精度の会話ができるそうである。実際の動画や、そうした文化を解説したページはたくさん見つかるので、興味がある人は「口笛言語」でググるとよろしかろう。

 周波数帯域で比べると、声が100~1000Hzに対して、指笛は800~4000Hzとなっているようだ。指笛の方が、レンジがだいぶ広いので、簡単に言うと「よく響く」「遠鳴りする」のが指笛である。なお、ソプラノ歌手の歌声や赤ちゃんの鳴き声は2000Hzになるという話もあり、人の声も発声の仕方次第でレンジがだいぶ変化するようだ。

 さて、その優秀な指笛だが、習得している人は意外に少ない。結構難しいのである。ちゃんと練習すれば1~2週間で、といった話を聞くが、これがなかなか遠いように思える。筆者もただの口笛や指パッチンなら余裕で習得しているが、指笛は何度も練習して、何度もなんとなく挫折してきた過去がある。

 習得のしにくさの理由の一つにはおそらく、練習のハードルの高さがある。指笛は指を唇でくわえて息を吹きピーと音を出すが、その時口の中で指は何をしているかというと、舌を軽く押さえている……つまり指が舌に触れ、唾液がついて濡れるのだ。唾液がついた指は、ティッシュやタオルで拭いただけではすっきりせず、ウエットティッシュか、あるいは指をすぐに洗える水回りが近くに必要となる。これが指笛の「練習のハードルの高さ」である。

 しかし、命の瀬戸際で自分を救ってくれるかもしれない指笛を練習するか・しないかは、「指が唾液で濡れるか・死ぬか」という二択に等しい。であれば、「指が唾液で濡れる」方が断然許容できるし、せっかくこのような記事を書くのだから「吹けるようになった!」という流れがやはり体裁としてはよろしいしで、数十年ぶりに指笛の練習に取り組んでみた。

 だが、そう簡単にはいかないのがやはり指笛である。鳴りそうで鳴らない境界をながらく漂いながら昼の12時少し前、明るい自室でフシュー、フシューとやり続けた。

 世の中の人たちはちゃんと仕事をしているのに43歳のいい年をした自分は、これも我が仕事の一環に違いないとはいえ、さっきから指先を舌でなめ濡らしてしかいない。非生産性に罪悪感が兆してきて、いったんやめようと洗面所に行き手を洗い、デスクに戻ってくると猫がキーボードの上に寝そべっていたのでそれを抱えて下ろし、PCに向かって仕事しようとした。しかし、やはり悔しくなったので指をくわえて練習を再開し、2、3分たったらあきらめて指を洗いに行き、戻ってきたら猫がキーボードの上で寝ていて―――。

 というのを4セットくらいやったところでようやく、この記事を完成させるまでに指笛を習得するのは無理だとあきらめがついた。