直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、“歴史小説マニア”の視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身やおすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
「歴史小説」と「時代小説」
それぞれの書き手とは?
「歴史小説」と「時代小説」の書き手については、山田風太郎は時代小説寄りで、陳舜臣や宮城谷昌光は歴史寄り。髙田郁、佐伯泰英といった書き手は時代小説で、天野純希、木下昌輝、澤田瞳子は歴史小説。
こんな具合に、どちらかに寄る傾向が顕著となっています。
私自身は、中高生の頃、両者のごちゃまぜ時代の書き手にどっぷり耽溺したおかげで、歴史小説と時代小説の違いをあまり意識しないまま、プロの書き手となりました。
「歴史小説」と「時代小説」を
お笑い界にたとえると?
結果的に、今では珍しい歴史小説と時代小説の二刀流になっています。
過去の作品でいうと、『童の神』『八本目の槍』『じんかん』などは歴史小説に、『羽州ぼろ鳶組』や『くらまし屋稼業』シリーズは時代小説に分類されます。
もしかすると、歴史小説と時代小説の違いは、お笑いでいうところのピン芸(単身での活動)と漫才の違いのようなものかもしれません。
「コンビ芸」か「ピン芸」か
お笑いの世界では漫才に特化している芸人さんもいれば、ピン芸に特化している人もいます。
ただ、ときどき漫才コンビの1人がピン芸を披露したり、ピン芸人がユニットを組んでM‐1グランプリにチャレンジしたりすることもあります。
私にしてみれば、「ああ、今日の池波先生はピンでやっている」「今日はコンビで出ている」という感覚で池波先生の作品に親しんできたので、特殊な訓練を経なくても両方できるようになりました。
読者が区分に
こだわる必要はない
業界内では歴史・時代の区分は明確ですが、一般の読者が両者を厳密に区分しているわけではありません。新聞やテレビなどでは歴史小説を「時代小説」ということもありますし、その逆もあります。
そこをあえて私たちが否定するべきものでもないですし、厳密な定義にこだわる必要もないと考えています。
拙著『教養としての歴史小説』では、話をわかりやすくする便宜上、基本的には歴史小説と時代小説を合わせて「歴史小説」と記述することにします。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。