北総鉄道の累損解消で見えてきた
グループ鉄道事業の一体化

 一方、本体の京成はその頃、経営危機に直面していた。高度成長期に過大な土地投資に打って出たが、オイルショックで業績が悪化。多額の負債を抱え込んだことで1978年、30年ぶりに無配に転落した。

 本業の鉄道も地下鉄東西線の西船橋延伸で乗客が逸走し、鉄道収入が落ち込んだ上、勝負をかけた成田空港アクセス輸送が、空港反対運動の激化で開港が遅れた。北総開発鉄道もオイルショックのあおりを受けて千葉ニュータウンの開発が遅れたことで業績が低迷し、開業早々、経営危機に陥った。

 結局、京成はホテル、百貨店、レジャー施設を次々売却。日本民営鉄道協会から脱退するなどの荒療治を経て、1990年に累積損失を一掃して復配。1991年には成田空港直下の新たな成田空港駅への乗り入れを開始し、経営再建を果たした。

 この間、優良子会社だった新京成の持ち株比率は20%台まで低下したが、再び持株を増やしていき、前述のように約44%まで戻した後、待望の完全子会社化、そして当初の約束通り合併を実現したことになる。

 累積損失が最大447億円に達し、何度も経営危機に陥った北総鉄道も2022年度に累積損失を解消し、攻めの運賃値下げを実現した。それぞれの歴史的経緯から、別会社を設立して新線建設を進めてきた京成だが、ようやくグループ鉄道事業の一体化が見えてきた。京成としても吸収合併で終わらせるつもりはないはずだ。

 ところで合併後の路線名は、どうなるのだろう。「京成新京成線」ではあんまりだ。ここはご先祖さまにあやかって「京成松戸線」にするのも一興だ。