創価学会の第3代会長
池田大作氏が死去

 さて、創価学会第3代会長で、創価学会インタナショナル(SGI)を設立した宗教指導者・池田大作氏が11月15日に老衰で亡くなった。11月18日に創価学会が明らかにした。

 池田氏は、1928年、ノリ製造業を営む家の五男として生まれた。19歳で創価学会に入会。60年(32歳)、創価学会第3代会長に就任した。当初は権力基盤が盤石とは言い難かったが、数年後には創価学会内の権力を掌握した。

《池田が天才的なオルガナイザーぶりを発揮するのはその後(筆者注:実質的な権限を握った後)である。11人いた理事を、(筆者注:昭和)45年には1700人にも増やし、実質的に理事たちの権限を奪ったのである。学会の元幹部は、「理事とか副会長は名誉職で会員への“ニンジン“なんです。池田さんが気に入ったらどんどん与える。励みになりますから」というが、私は究極の権力構造がここで完成されたように思う。理事が数人なら、権限が集中して池田を追い落としかねないが、1700人もいれば理事に権限がないに等しく、池田以外はその他大勢という逆T字型の権力構造ができる。現在、副会長が200名近くいるのも、これと同じ構図だろう》(週刊文春、10年12月2日号)

 そして池田氏は会長在任期間中に学会組織を爆発的に拡大させた。池田氏が会長へ就任した時は140万世帯だった国内会員は、22年時点で公称827万世帯となっている。その立役者が池田氏だった。

 また、1964年に池田氏は公明党を結党した。今では、自公連立政権を組んで、事あるごとに平和主義と福祉を強調しているものの、集団的自衛権の行使を限定容認した安全保障関連法などには公明党も賛成している。

 地方政治にあっては、大阪では大阪維新の会、東京では都民ファーストの会と手を組むなど、よく言えば「柔軟」、悪く言えば「政権与党と世論に弱い」姿勢がある。なお現在は、日本維新の会が公明党の現職がいる小選挙区で候補者を立てることを表明したので、敵対関係にある。

 この「与党志向」は、かつて公明党が新進党に合流していた1995年、自民党が嫌がらせで政教分離について池田氏の参考人招致を行おうとしたときに生まれたといわれている。池田氏の招致は結果的に見送られたものの、与党にあらねば、いや、議会で多数側についていなければ、どんな嫌がらせを受けるか分からないと考えたのであろう。