しかし、民主党政権下では与党ではなかったし、もはや政教分離を問題視する政党はほとんどない。池田氏の亡き後は単純に与党になりたいというだけの風見鶏と断じられても仕方がないだろう。

 同じ支持層を基盤とする政党に日本共産党があるが、党勢の維持ができず、厳しい撤退戦を強いられている。その点、多少のかげりがあるとはいえ、池田氏がつくり上げた公明党、創価学会のマネジメント能力は優れているといえそうだ。

今フォーカスすべきは
創価学会ではなく「公明党」だ

 読売新聞の記事(11月19日)の中で、取材に対して学会幹部は「いつかこの日が来ると覚悟していたが、喪失感はやはり大きい」と語っている。カリスマなき後の組織は、どう維持されるのであろうか。

《宗教指導者の交代は、どのような組織にとっても困難なことである。宗教的集会におけるリーダーシップの移行は、個人的な関係やリーダーの地位の精神的な側面を考えると、特に難しいかもしれない》と指摘したのは、米ペンシルベニア州立大学のエリカ・J・ドルホップ氏と米セント・ベネディクト−セント・ジョンズ大学のクリストファー・P・シャイトル氏だ。二人は「衰退と対立:宗教集会における指導者交代の原因と結果」という論文を13年に発表している。この論文は、以下のことを指摘する。

・前の指導者に忠誠を感じていた人々が失望や怒りを表明した場合、指導者の交代は信徒の対立を引き起こしたり、悪化させたりする可能性がある
・前任の指導者が非常にカリスマ的であった場合は特に、新しい指導者とその前任者との比較は避けられない
・信徒の間では、話題の政治問題から礼拝音楽のスタイル、組織の財政に至るまで、さまざまな観点で意見の相違が生じる。驚くことではないが、信徒のリーダーはしばしば対立の原因となる

 結局のところ、偉大なるカリスマなき後の組織は、非常に悩ましい問題に直面するということだ。ただ、この論文はその対処法として《一時的な信徒の減少に見舞われるかもしれないが、宗教組織としては、指導者の交代問題にとらわれすぎず、組織の健全性と長期的な計画にエネルギーを集中した方が得策》としている。

 池田氏の死去を契機に、創価学会についていろいろ言ってくる人間もいるだろうが、泰然自若としていろということだ。

 世の中に迷惑が及ばないなら、人様の信じる宗教について、とやかくいう必要はないというのが私の立場だ。むしろ今、有権者が積極的にフォーカスすべきは創価学会ではなく公明党だろう。

 選挙前になると、調子のいいことばかり公約にして、バラマキを平然と唱え、選挙が終わると増税を積極的に容認する。国民負担が増えれば経済成長は止まり、バラマキをすれば財政は悪化するのである。これほど無責任な振る舞いを国民は許してはいけない。公明党と創価学会は分けて考えるべきだ。