そして09年3月、特捜による西松建設事件の捜査が政界に及んだ。その結果、小沢氏の資金管理団体事務所などに家宅捜索が入り、公設第一秘書が逮捕された。この問題による党内の動揺を受けて、小沢氏は09年5月に民主党代表を辞任した。

 周知の通り、09年9月の総選挙で民主党は大勝利を収め、政権交代を果たしたが、首相の座を射止めたのは鳩山由紀夫氏だった。夢破れた小沢氏は党幹事長に就任し、英国流の統治機構改革や党政調会の廃止などに、その剛腕を振るおうとした(本連載の前身「政局LIVEアナリティクス」第38回)。

 だが10年1月、小沢氏の側近・石川知裕衆議院議員(当時)を含め、秘書3人が政治資金規正法違反容疑で逮捕された。小沢氏本人は嫌疑不十分で不起訴処分となったが、世論は許さなかった。ある市民団体が不起訴を不服として、小沢氏を検察審査会に告発。結局、小沢氏は民主党幹事長を辞任した。

 小沢氏は強制起訴された後に無罪判決となったものの、この政治史に残る事案の裏側で、「最強の捜査機関」が「忖度なき捜査」を展開したことは言うまでもない。

「最強の捜査機関」こと特捜に
「10年の空白期間」がある理由

 ところが特捜は石川氏の逮捕以降、長きにわたって沈黙する。IR・統合型リゾート施設事業を巡る汚職事件で、秋元司内閣府副大臣(当時)が19年12月に逮捕されるまで、10年ほどの「空白期間」があるのだ。

 空白が生じた理由は、自民党が政権を奪還し、故・安倍晋三氏が二度目の首相就任を果たして以降、うまく検察を抑え込んでいたからだ――という指摘がある。安倍政権下で「検察コントロール」のキーマンとなったのは、菅義偉官房長官(当時)だとみられる。

 菅氏はこの頃、毎年約10億~15億円計上される官房機密費や報償費を扱える立場にあった。内閣人事局を通じて、審議官級以上の幹部約500人の人事権を振るうことも可能だった。菅氏は官邸に集まるヒト、カネ、情報を一手に集め、絶大な権力を掌握していたといえる。

 さらに、菅氏は官邸記者クラブを押さえてメディアもコントロールし、官邸に集まるありとあらゆる情報を管理したとされる(本連載第253回・p4)。特捜が動く前に、政権を揺るがしかねない政治家のスキャンダルを「握りつぶす」ことが可能だったのだ。