日商岩井から日産に転じた経歴を持つ内田氏は、当時、全くのダークホースだった。日産入りしてから購買・調達畑を歩み、直前では専務執行役員・中国事業統括で中国・武漢に駐在していたが、社長の白羽の矢が立ち、コロナ禍が始まる中で急きょ、日本の本社に呼び戻された。
内田日産体制は、最悪の状態からスタートを切った。19年度の日産の純損失・赤字は6712億円に膨らんでいた。内田社長を支えるCOOに三菱自COOから復帰させたアシュワニ・グプタ(ルノー出身)氏と、副COOには中国事業統括の前任だったプロパーの関潤氏を采配する経営布陣だったが、すぐに関氏は退任して日本電産(現ニデック)社長に転じてしまった。なお、関氏はその後、台湾・鴻海精密工業(ホンハイ)入りしてしまう。
19年の内田日産体制のスタートから4年が経過する中で、内田社長は不退転の覚悟で、不採算事業・余剰設備の整理や選択と集中を進めてきた。収益性重視・コスト最適化を企図した事業構造改革として中期経営計画の「NISSAN NEXT」を20年5月策定し、この23年度末までの4カ年計画で営業利益率5%、マーケットシェア6%レベルの達成を掲げた。
今期業績予想は、営業利益6200億円の上方修正を既に発表しており、これに基づくと23年度の営業利益率は4.8%となる。中間期としての配当復活と共に一定の評価はすべきだろう。
だが、内情は円安による為替差益の押し上げが400億円もあり、日産全体の純利益の34%も占める中国事業が一転して厳しい状況となっている。
また、今年6月の株主総会でアシュワニ・グプタCOOが突然の退任、社外取締役の経産省出身の豊田正和氏も退任し、不可解な経営陣の混乱も示唆された。