ENEOSが「Tポイント加盟」をわずか3日で決断!元売り最大手が“レンタル業者”の構想に乗った全内幕Photo:Bloomberg/gettyimages

ビデオレンタルチェーンを展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)は2002年に、ポイントの共通化プロジェクトを機関決定し、加盟店開拓に乗り出すことになる。日本初の共通ポイントであるTポイントはどのように加盟店を開拓していったのか。長期連載『共通ポイント20年戦争』の#6では、最初に加盟することになった新日本石油(現ENEOSホールディングス)が参画を決断した内幕を明らかにする。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)

加盟店のターゲットは新日本石油
キーマンは鹿児島の特約店トップ

 2002年11月、ビデオレンタルチェーンのTSUTAYAを展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)は、ポイントの共通化を進めることを機関決定した。日本で初となる共通ポイントのプロジェクトが動き出したのだ。

 次に待ち受けていた関門が、加盟店の開拓である。共通ポイントの最大の肝は「どの店で使えるか」である。全国に広い店舗網を持つ企業を取り込めなければ、競争力はないに等しい。では、どのようにしてTポイントは加盟店を広げていったのか。

 Tポイントの「生みの親」であるCCC副社長の笠原和彦が最初に狙いを定めたのが、石油元売り最大手の新日本石油(現ENEOSホールディングス)である。

 02年6月に日石三菱から社名変更をしていた新日石は当時、9000カ所の系列のガソリンスタンドを抱えていた。業界最大手で、全国に巨大な店舗網を持つ同社に参画してもらえれば、プロジェクトに弾みがつく。問題はどうやって交渉を持ちかけるかだった。

 CCCでの機関決定から間もなく、笠原は一人の人物に会うために鹿児島へ飛んだ。その人物とは九州屈指の規模を誇る卸売業、Misumiの社長を務める三角皓三郎である。

 笠原が三角の下を訪れたのは、三角が持つ強力なパイプが目当てだった。Misumiは、三角の祖父である三角巳之八が1907年に、新日石の前身である日本石油の特約店として創業した。新日石の特約店の中では、九州で最も大きく、存在感は際立っている。

 その歴史からもMisumiと新日石は深い関係で結ばれていた。現在のMisumiのグループCEO(最高経営責任者)で、三角の娘婿に当たる岡恒憲も新日石出身だ。そして、三角が親しく交流を重ねてきたのが、当時新日石社長だった渡文明である。

 渡は日石の副社長として三菱石油との合併を指揮し、99年に石油元売りで国内首位となる日石三菱を生んだ立役者である。2000年には社長に就き、現在に至るENEOSホールディングスの基盤をつくった。後に石油連盟会長や経団連副会長を務めるなど、元売り業界にとどまらず、財界の超大物というべき存在だ。

 年齢は三角が渡の2歳上。営業畑を歩んできた渡と三角は深い関係を育んできた。

 鹿児島市内のMisumi本社を訪れた笠原は三角にこう頼み込んだ。「渡さんにポイントビジネスの話を説明させてほしい」。ポイントビジネスの話を新日石の表玄関から持ち掛けても成功の可能性は低い。渡とのコネクションを持つ三角に、いわば“口利き”をお願いしたのだ。

 もちろん、MisumiとCCCの関係も深かった。三角は、特約店を展開する傍ら、ケンタッキーフライドチキンなどの外食店舗などに参入。強力なリーダーシップで多角化を推し進めてきた。中でも、Misumiは1986年にビデオレンタル業を展開し始めてまだ日も浅いCCCとフランチャイズ契約を結び、TSUTAYAを展開していた。

 しかも、笠原と三角も古い縁だ。笠原は前職のNEC時代に特約店向けの新たなPOS(販売時点情報管理)端末を三角に売り込んだ。従来のカセットではなく、フロッピーディスクを使って販売数量などのデータが記録できるという点が優れていた。

 だが、誤算が生じる。鹿児島市内では、桜島の火山灰が不具合をしょっちゅう引き起こしたのだ。その時こそ、三角は笠原に大目玉を食らわせたが、長い付き合いの中、そんなトラブルもお互いにとって笑い種となっていた

 そんな笠原の頼みに三角は、渡を紹介することを約束した。

新日本石油本社新日本石油本社 Photo:JIJI

 それから1カ月後の02年12月27日。仕事納めに、CCC社長の増田宗昭と執行役員の三宅恭弘が東京・西新橋にあった新日石本社に足を運び、渡と面会を果たす。