日本初の共通ポイント、Tポイントの「生みの親」であるカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の首脳は、満を持して共通ポイント構想を役員会にかける。だが、予想もしなかった人物からの反対でプロジェクトはまさかの「棄却」となる。長期連載『共通ポイント20年戦争』の#5では、慎重論が支配していた役員会をひっくり返し、共通ポイント誕生の道筋をつけたCCC首脳の秘策を明かす。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)
CCC役員会でポイント構想を議論
ある人物が不安を漏らし「棄却」
2002年秋、東京・恵比寿のカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の本社で開かれた役員会は重苦しい雰囲気に包まれていた。
役員会には、CCC社長の増田宗昭を筆頭に、社外役員だった楽天(現楽天グループ)を創業した三木谷浩史やフューチャーシステムコンサルティング(現フューチャー)社長の金丸恭文らも含めた10人ほどが出席していた。
議論の俎上(そじょう)に上がっていたのは、ポイントの共通化プロジェクトである。Tポイントの「生みの親」であるCCC副社長の笠原和彦が提案したものだ。ポイントの共通化とは、CCCが展開するビデオレンタルチェーンのTSUTAYA以外の店などでもポイントがためられるようにするものだった。
今やTポイントをはじめ楽天ポイントやdポイントといった共通ポイントは、業種やサービスの垣根を越えて利用できる。だが、当時は言葉すらなかった。
それでも笠原には自信があった。その根拠が、独自戦略である。後に詳しく触れるが、実は、笠原のポイント構想の柱は、各業界の最大手を囲い込む「ナンバーワン・アライアンス」だった。先駆者が圧倒的な市場を押さえる“総取り”を狙っていたのだ。
「これはやってみてもいいのでは」。役員会ではそんな声もあった。しかし、雰囲気を一変させたのが、ある人物の一言である。
「レンタル屋のカードに新日石(新日本石油)みたいなところが乗るなんて考えられない」
発言の主は誰あろう増田だった。役員会は静まり返った。
当時、CCCの売上高は1000億円ほど。片や、増田が引き合いに出した、後にTポイントの最初の加盟店となる新日本石油(現ENEOSホールディングス)の売上高は4兆円を超えていた。店舗数でも、TSUTAYAは1000店ほどに過ぎず、新日本石油のガソリンスタンド1万店とは大きな開きがあった。
しかも、CCCは2000年に上場を果たしたばかりの“新米”だ。大手企業は見向きもしてくれないだろう、と増田が自虐的に考えるのも、至極まっとうだった。
増田の発言によって役員らも、プロジェクトへの慎重論に傾いていった。そもそも、笠原は事前に増田にプロジェクトについて“根回し”をしていた。だが、増田は役員会で突如不安を漏らしたのだ。
オーナーである増田の判断であれば仕方ない。役員らも右へならった。結局、この日の役員会では、笠原の渾身(こんしん)のプロジェクトはあえなく“棄却”された。
ただし、笠原もそれぐらいで諦めるような人間ではない。構想に自信を持っていたからこそなおさらである。プロジェクトを前に進めるために、ある秘策を講じた。