「暴力肯定論」を語る
「女神」としての面影は失われた
こうした本音を吐露するアグネスさんからは、過激な「暴力肯定論」を語っていた「女神」としての面影は失われているように思える。故に筆者は、できればアグネスさんにこれ以上の政治活動をしてほしくないと考えている。香港での抑圧された環境から解放されたのだから、素顔のアグネスさんに戻ったらいいのではないか、と。
そして何しろ、現実は厳しい。アグネスさんの「亡命宣言」直後の12月10日、香港で4年に一度の区議会(地方議会)選挙が投開票された。その結果、民主派が一掃され、中国政府寄りの「親中派」が議席をほぼ独占した。アグネスさんが民主化運動に尽力し、逮捕までされたにもかかわらず、この結果である。現実に対し、彼女自身もいろいろと感じるところがあるはずだ。
では、今後のアグネスさんはどうなるのか。宣言通りカナダで学び、失われた青春を取り戻せるのだろうか――。
留学先がカナダと聞いた時、筆者は一抹の疑問を覚えた。身の安全を確実に守れる「米英」ではなかったからだ(第157回)。
カナダは移民大国である。21年のカナダの国勢調査では、人口の4分の1近く(23.0%)に当たる830万人以上が移民だった。「人種のるつぼ」と呼ばれる米国、英国でさえ共に14%だから相当に割合が高い。
特に中国からの移民は多く、19世紀半ばには中国の華南地域、福建地域、広東地域からカナダへの移住が始まっていた。彼らはバンクーバーなどに「チャイナタウン」を築き、「華人ネットワーク」を形成した(第67回)。
そして1997年の香港返還前には、カナダへの移住を望む香港人が急増した。この頃、バンクーバーは「ホンクーハー」と呼ばれた。2000年代には香港からの移民が落ち着き、その代わりに中国本土からの移民が再び増加した。
その結果、昨今はカナダの各都市・各州議会、そして連邦議会で「華人議員」が増加している。中国政府と近く、中国共産党と接触する議員もいるという。だからこそ香港および中国当局は当初、アグネスさんのカナダ留学を認めたのだろう。
カナダであれば、現地の強固な「華人ネットワーク」によって彼女の所在や動向を確認できる。だからこそ「自由を与え、泳がせても大丈夫」という判断があったと考えられる。