さらに、トヨタは98年にダイハツの株式の過半(51%)を取得して子会社化し、16年に100%出資による完全子会社化している。

 この間、ダイハツ社内外で話題となったのが05年にトヨタ副社長からダイハツ会長に転じた白水宏典氏が“白水天皇”とまで呼ばれるほど、ダイハツの権力者となったことだ。

 白水氏は、当時軽自動車でスズキに次ぐ“万年2位”に甘んじていたダイハツを一気にトップに引き上げた立役者だ。筆者もライバルの鈴木修社長(当時)から「ダイハツの白水会長は、なかなかやるね」との言葉を聞いたことがある。白水氏は、九州・中津工場建設を決断した人でもあり、11年に相談役・技監に退いたが16年のトヨタのダイハツ完全子会社化まで権勢を振るった。ダイハツプロパーでダイハツ九州社長だった三井正則前社長を抜てきたのも白水氏だったそうだ。

 白水氏の権勢は功罪相半ばするが、くしくも16年のトヨタのダイハツ完全子会社化で白水氏はダイハツを去った。

 第三者委員会が指摘したダイハツの不正問題が増えたのが14年頃のことだ。14年は、トヨタのグローバル販売が1000万台超え(1023万台)したタイミングでもある。トヨタが「低コストの小型車開発・生産技術を得意とする」ダイハツとの連携を深めたことで、ダイハツ内ではプレッシャーとなった可能性もあるし、あるいは「アンチトヨタ」という対立構造によるあつれきも現場であったのかもしれない。

 いずれにせよ、ダイハツの不正問題は全車種の生産・出荷停止という異常事態を迎え、ダイハツ本体はもとより、関西や九州の仕入れ先の部品各社と全国のダイハツ販社にも大きなダメージを与える。納入できない、売るものがないとなれば当然だ。

 今回のダイハツ不正は、まさに解体的出直しが求められるが、どうも同じような光景を見てきたのが、先般の日野自動車のケースだ。