個人的には、日本版では2023年7月から始まったコミュニティノート機能に困惑を覚える。真偽が不確かだったり、正確ではなかったりする情報を訂正するためにユーザー同士が書き込むことができる機能だが、まず現時点では書き込まれる情報の質にばらつきを感じるためだ。
さらに仰々しい訂正情報と、その参考URLの羅列は、その内容いかんに関わらず心理的な圧迫感がある。
もちろん、Xを情報入手のために使っている人も多いのだから有意義な機能だし、この度の震災時のような緊急時においてもその機能は必要だ。そして今後はユーザーの慣れとともに洗練されていくかもしれない。だが、それらを勘案しても、以前のような気軽な日々の「つぶやき」を楽しむ場では、もう完全になくなってしまったようなさみしさがある。
しかしである。それでもなお、筆者はXを使い続けている。これはなぜなのか。
やめたいけれどやめられない
ユーザーが悩む「3つの理由」
自分の話ばかりしても仕方ないので、Xに不満を持ちつつも使い続ける他のユーザーたちの意見を紹介したい。大きく分けて、その理由は3つあるようだ。
(1)ここで培った相互フォロワーとの関係
「改悪のたびに悪態をつきたくなるが、Xをやめたら縁が切れてしまう相互さんがいる」「ここで出来上がったゆるいコミュニティがあり、離れ難い」といった意見。
なんだかんだ言って2010年代はTwitterの時代であったし、2020年代半ばとなった今もそれは続いている。初期ユーザーにしてみれば、もう14〜15年にわたり、このSNSに時間を費やしているのである。