剛腕伝説は数知れず?
札幌地下鉄の父・大刀豊とは
約5kmにもおよぶシェルターを発案したのは、札幌市交通局の局長にして、のちに「札幌地下鉄の父」と呼ばれる、大刀豊(だいとう・ゆたか)氏だ。大刀局長は戦後、3年間のシベリア抑留から帰還して札幌市職員となり、並外れた行動力・交渉力で頭角を現し、8年後の42歳には交通局長に抜てきされ、19年間も局長を務めあげた。
大刀局長は、地下鉄の建設を提唱する前から、今でいう女性専用車両、連接車両、オフピーク通勤割引に近いものを独自に発案し、札幌市電(路面電車)で導入するなど、他都市の鉄道関係者も驚くアイデアマンとして知られていた。その発想と行動力が、のちの地下鉄建設・シェルター設置につながっていく。
地下鉄の建設は、当時の札幌市電や市営バスの輸送量が限界になることを見越した太刀局長が先導した。運輸省(現在の国土交通省)との交渉では、人口規模が80万人程度(当時)の札幌市での地下鉄経営を懸念して「赤字をどうするのか? クマでも乗せるのか?」という官僚の皮肉に「ゼンコ(銭。運賃)さえ払えば、クマでも乗せます」と即座に切り返し、官僚と渡り合ったという逸話も残っている、
なお、ゴムタイヤ方式の導入も、フランス・パリ視察で現地の地下鉄にほれ込んだ、大刀局長の判断によるものだ。