半導体回路の設計も、新しいビジネスモデルを発想するのも、大人数の協業で可能となるものだけではなく、天才のひらめきが必要です。台湾政府が賢かったのは、成功するには1人の天才にすべてを任せるしかない、というビジネスにおける成功のカギを知っていたことです。

 有名大企業をいくら集めてきても、サラリーマンが数多く関わり調整が必要となることで、突出したアイデアは回避され革新的な価値は生まれなくなります。寄り合い所帯で、企業や大学の研究者が束になったら勝てるのではないか、という発想自体が実情とかけ離れているのです。

突出した天才にすべてを委ねて
あとはうまくいくように祈るだけ

 それでは正しい発想とは何でしょうか?

 台湾がやったように、「1人の突出した天才にすべてを委ね、あとはイチかバチか、うまくいくようにお祈りするだけ」という発想です。

 アップルがなぜ次から次へと魅力的な製品を開発し世界をリードし続けているのか、それはジョニー・スロウジが完全に開発を任されて、1人で統括しているからです。

 TSMCがなぜ世界一になれたのか、それはモリス・チャンが完全にすべてを1人で決めていたからです。

 国内にも人がいないわけではありません。フラッシュメモリを発明した舛岡富士雄のような人は日本にも存在しています。

 一握りの天才が率いる企業に何十年もの間、負け続けていることが明らかなのに、いまだに寄り合い所帯でジョニー・スロウジやモリス・チャンに勝てると考えているのはなぜでしょうか?

 過去の成功体験がまだ記憶に残っているからかもしれません。かつては政府が音頭を取った大企業間の協調が成功モデルであったことは確かです。

 たとえば、小宮隆太朗らによる『日本の産業政策』(1984)によると、「今日ではアメリカおよびヨーロッパの先進諸国、中国を含む東アジア諸国をはじめとする多くの開発途上国が、自国の産業発展のためになんらかの教訓を得ようとして、第二次大戦直後から今日に至るまでの日本の産業政策に強い関心を寄せている」とあります。