しかし、筆者を含む世の男性は他人の趣向や考え方に寛容である、あるいは寛容であろうと努めているためか(家庭内では幼児性を露呈する男性でも家の外では成熟した思慮深さを見せるケースを含む)、「メンズ日傘に92.2%が肯定」という結果が出たように見える。

 この92.2%の肯定はもちろん本音なのだが、ちょっと“よそ行き”然とした本音でもあり、たとえばアルコールが入った人に突っ込んで聞けば、こんな話を聞くことができた。

「情けない。男はいつからこんなになよなよしてしまったのか。こんなことを言う自分は若い人にとって老害だろうから平素は胸の奥にしまっているが、そう思っているのも事実。他人はいざ知らず、いくら夏の暑さがつらかろうが、自分は日傘は御免こうむる」(50代男性)

 メンズ日傘を理解しようとしているのも本音だし、メンズ日傘をちょっと嫌だなと思っているのも本音である。この2つの相反する本音から、理知的であろうとしている人間の葛藤が現れている。

「手に何かを持つのがイヤ」
「夏特有の充実感が失われる」

 酒の席でまかれていたクダをここに紹介しただけで、これに正当性があるなどと主張するつもりはない。しかしこうした独善的な感想でも、ある程度の年齢の人にはいくらか共感できる部分があるかもしれない。

 また、「日傘=女性っぽい」というイメージとはまったく別の理由でメンズ日傘を敬遠している人もいる。仕事で外を歩くことが多い男性の談話である。

「去年の夏はたしかに命の危険を感じる暑さだった。今年もあれならメンズ日傘に検討の余地はなくはないが、傘を持つ煩わしさを考えるとちょっとためらわれる。手に何かを持つのが好きではないので。

 それに、汗だくになったあとにカフェで飲むアイスコーヒーや、就業後のビールが極上にうまかったりするわけで、そうした夏特有の充実感が日傘の導入によって失われてしまうのはさみしい」(40代男性)

 新しい風習を目の前にして、失われるかもしれない風習に思いを馳せ――。これも人の自然な反応であろう。