伝統芸能における現代の名家
裏千家と市川團十郎家

 お公家さんがいなくなった京都では、東西の本願寺の大谷家が最高の名家として君臨していた。だが、内紛もあって、戦後隆盛したのは、裏千家。若い女性のお稽古事として茶道を普及させることに成功した。

 14代千宗室(現玄室)は、夫人の登三子や姉の塩月弥栄子の助けを得ながら、世界への進出に成功。また、日本青年会議所会頭を務め、ロータリークラブなどでも活躍した。現在の16代千宗室の夫人は、三笠宮の次女の千容子さん(容子内親王)である。

 芸能において、世襲に意味があるとは考えにくいが、歌舞伎の世界では、名跡が物を言う。オペラ歌手やバレリーナではあり得ない話だ。余談だが、かつて私は、歌舞伎は才能がなくてもプロになれる「第二芸能」(桑原武夫の俳句第二芸術論から連想)だと批判し、物議を醸したこともある。

 歌舞伎が日本を代表する伝統芸能と言われたのは、明治時代に9代目市川團十郎、5代目尾上菊五郎が出た頃からだ。現在は、團十郎が13代目、菊五郎は7代目(来年5月に人気歌舞伎俳優の尾上菊之助が8代目に襲名予定)だが、2人とも、前期の2人とは血縁がない。

 戦前の名優・7代目松本幸四郎はまんじゅう屋の子だったが、2代目藤間勘右衛門の養子になってこの世界に入り、歌舞伎と近代演劇の両方で名優とされた。

 この7代目松本幸四郎の3人の子が、團十郎(11代目)、幸四郎(8代目)、尾上松緑(2代目)となり、孫の世代に12代目團十郎、2代目松本白鸚、2代目中村吉右衛門などを輩出している。