農林水産省の事務次官や経営局長として、農業界最大の既得権団体である農協の改革を実現した奥原正明氏に、望ましい政と官の関係などを聞いた。「霞が関の問題は、永田町の問題である」という同氏の真意とは。特集『公務員970人が明かす“危機”の真相』の#11では、農協に切り込んだ改革派官僚に、霞が関の危機の真相を語ってもらった。(聞き手/ダイヤモンド編集部副編集長 千本木啓文)
改革派が少なくなった
自民党の現状を憂慮
――中央省庁が抱えている課題とは何ですか。
公務員のなり手が減り、辞めてしまう若手が増えている要因として、労働条件が悪いとか、給料が少ないとか、いわれていますが、本質はそこではないと思っています。一番大きなポイントは、本当に意味のある仕事をやっているのか、自分の仕事にプライドを持てているのか、にあると思います。
高度経済成長の頃は、欧米の仕組みを日本に導入していけば発展できました。経済成長で財政収入も増えますから、予算を使って新しい仕事もやりやすかった。だから当時は、霞が関が日本をリードできたし、皆プライドを持っていました。
ところが、欧米に追い付いて高度成長が終わった。他国との対等な競争に勝ち抜き、日本を発展させるための方策を自ら考え出さなければダメという時代になりました。それには、仕組みや仕事のやり方を変えなければいけません。1981年に土光臨調(第2次臨時行政調査会)が始まりましたが、この頃にはそのことが明確になっていたということです。
要するに、80年代からは、制度改革、規制緩和を進めなければ、日本経済を発展させることができなくなったわけです。
でも、改革は簡単なことではありません。高度成長の過程でさまざまな既得権団体ができて、それらに都合がいい制度が作られました。だから、制度を変えようとすると必ず反対がある。制度が時代に合わないし、変えた方が発展することが分かっていても、なかなか変えられない。これは農業の世界だけでなく、医療や教育を含めて、あらゆる分野で起きていることです。
それをいかに打破するか。既得権と闘わなければいけないので、政治的なリーダーシップ、それも一般の政治家ではなく、政治と行政を統括できる官邸の力が必要です。総理や官房長官が、この国をこういう方向に持っていく、こういう改革をしなければ日本の将来は開けないという思いで、実行できるかどうか。ここが最大のポイントです。
私はたまたま、局長や事務次官を務めたときに安倍内閣でしたから仕事は非常にやりやすかった。安倍晋三首相や菅義偉官房長官には強いリーダーシップがありましたから。
農業分野には、時代に合わない制度がいろいろ残っており、これを変えないと発展しないと考えていたので、官邸と連携しながら、農協改革や農地を集約させるための仕組みづくりなど、さまざまな仕事をすることができました。
行政のあるべき姿は、日本の将来を良くする政策を日々考え、それを政治と連携して実現することです。その姿を後輩に見せられれば、若い人たちも含めてやる気につながり、「自分もあの省に入って仕事をしたい」と思ってもらえるようになります。ところが、現状は、そこがなかなか見えなくなっているということだと思います。
――政治の方に改革の意志とリーダーシップがあっても、各分野の専門家である行政に改革実行のアイデアがないと前進しにくいのでしょうね。
行政官は自分の所掌分野については、常に勉強して、こうやった方が良くなるというアイデアを持っていなければいけません。そして、タイミングが来たときにそれを実行する。準備がなければ何もできません。
霞が関の負担を軽減するために、政治家は国会質問の通告の時間を早くするべきだ、などといわれています。それはそれでぜひやってもらいたいですが、本質ではありません。そうではなくて、いろいろと抵抗があるかもしれないけど、こうやったら将来良くなるという、思いを持った政治家がもっと増えなければいけません。
首相や官房長官も各大臣も同様です。総理大臣になりたいからなるのではなくて、こうやって日本を良くしたいという思いがあって総理大臣になるから意味があるのです。政治家も行政も思いや志がなければ、前向きな仕事はできません。
若い政治家には、高学歴の人が増えていますが、だからといって、その人たちの志が高いかというと必ずしもそうではありません。むしろ昔より、自分の選挙のことしか考えていない人が多い気がします。国の将来を真剣に考えている政治家か、自分の選挙のことしか考えていない政治家かは、少し仕事をすれば、すぐ分かります。
最近は、行政官を自分の部下とか使用人だと思っている政治家も結構います。政と官は連携しなければいけませんが、それは「盲目的に言うことを聞け」というような関係であってはいけません。
次ページでは、奥原氏に、望ましい政と官の関係や、農水省で断行した革新的な人事などについて余すところなく語ってもらった。