600万人が飲む酒より
顔が見える客に届られる1本を

 移住して以来、3人は島の暮らしの豊かさを実感している。豊かな自然と、美しい海がすぐそばにあり、おいしい魚や島のブランド肉がある。島の人たちは、一切残業をしないことにも驚いた。毎日8時から17時まで働き、終わったらソフトボールをしたり、飲みに行ったり、思い思いに過ごす。3人も地元の人たちと同じペースで暮らし、合唱団で歌ったり、釣りに行ったりしてアフターファイブを楽しんでいる。

 会社員時代には出会えなかった漁師や農家、牛飼いの人など、多種多様な人たちとコミュニケーションを取る機会もある。

 蒸溜所を開業してから1年で、売上はすでに、計画の4年目から5年目、海外展開を見越して立てていた数字に達した。「月に800本売れれば贅沢はできなくても3人の給料を最低限払えて、借金を返しながらやれるだろう」と試算していたが、現在は月に3000本作っても足りない状況が続いている。

「あまり気負わずに、自分たちのペースでやっている感じです。お金を借りるのに必要なので数字の目標はもちろん立てていますが、正直それはどうでもいいと思っています」(門田さん)

 北海道から沖縄までたくさんの人が、GOTOGINを知って、五島の風景を見に来てくれているのが何よりの幸せだ。

「キリンの一番搾りを1カ月で飲む人は600万人くらいいるのですが、その人たち全てと話せるわけではありませんし、顔が見える感じはありません。今ぐらいの規模だと、お客さんとのコミュニケーションが一対一でできます」(門田さん)

 会社員時代に積み重ねてきたキャリアを生かし、好きなことをして過ごす日々。みんな収入は減ったが、これまで以上に充実している。

「企業でキャリアを積んだ人たちが活躍できる場がもっとあったらいいし、場がないんだったら自分で作るのも一つかもしれません。島では50代、60代は若手と言われますから」(門田さん)

 蒸溜所を地元の方の働く場にしたいという思いもある。今年6月に、五島在住の30歳の女性が、鬼頭さんの弟子として入社した。GOTOGINの物語は、これからも確実に紡がれていくのだろう。

一流ヒットメーカーが「大企業の看板」と「高給」をあっさり捨てた“意外すぎるきっかけ”土地の風景、土や風の香りなどを表現した「GOTOGIN」 写真提供:五島つばき蒸留所