GHQを真剣に悩ませた
ブルドーザーの横転事故

 筆者は以前、将門塚保存会の運営者である神田神社の関係者に、将門塚について直撃したことがある。神職の立場からすれば、祟りだ何だとメディアに騒ぎ立てられるのはさぞ不本意だろうと思いきや、返ってきたのはあまりにも意外な言葉だった。

「かつてこの場所に大蔵省の庁舎が置かれた際、大臣が病死したり、庁舎が落雷を受けて燃えてしまったりしたことは、当時の新聞にも載っている事実です。また、GHQが工事を進めようとした際にブルドーザーの横転事故が起きたというのも、やはり事実であると聞いています」

 なんと、祟りとされる一連のトラブルは、どれも事実だったのである。とりわけ後者については何度も事故が続き、困り果てたGHQ関係者から当時の神田神社の氏子総代に「どうすればいいか」と深刻な相談があったという。結果的にGHQがこの地の工事から手を引いたのは、“目に見えない何か”に屈したように受け取れる。

 朝敵として語られがちな将門は、歴史の物語においてどうしてもヒール(悪役)として扱われることが多い。そのイメージが今日、怨霊の伝説に拍車をかけているのは否めないだろう。しかし、先の神田神社関係者はこうも言う。

「平将門は非常に勇壮で大きな力を持った人物で、関東ではむしろ英雄視されています。噂というのはどうしても面白おかしく拡散されるものですから、こうして怨霊のように扱われてしまうのも致し方がないでしょう。でも、そもそも祟りというのは悪いことをした人に起こるもの。そうでない人にとっては、何も恐れる必要はないはずですよ」

 たしかに歴史を詳しくひも解いてみれば、政権を握る藤原氏が京都で権力をふるっていた頃、人々は悪政に悩まされ、衣食に困窮していたとも伝えられる。見方を変えれば、将門には大きな期待が寄せられていたのかもしれない。

 また、討たれた後もこうして祀られ、これだけ長きにわたって存在感を発揮し続けている事実から、「それだけ強い力を持った神様であるとも言えます」(先の神田神社関係者)という解釈も成り立つだろう。